実施要領

製作 ドキュメンタリー映画「君はノーサイドの笛を聞いたか」製作委員会
企画 岡田 聖
製作プロデューサー 高橋 紀成  岡田 聖
監督 石井 信行
脚本構成 村上 信夫
撮影 山本 啓太
ナレーション 松方 弘樹
エンディングテーマ曲 リュ・シウォン
製作協力 日本ラグビーフットボール協会
オーストラリア・ラグビーフットボール、ユニオン
公開 2009年8月~11月{全国の公会堂&市民ホール}
制作協力 株式会社ディープロジェクト


企画意図&あらすじ


「ノーサイド」日本では一般にラグビーの試合終了の合図として広く知られています、本来の意味は「地球に国境は無い・地球はひとつ」を願う{love&peace}を意味する概念として用いられます。

君はノーサイドの笛を聞いたか
君はノーサイドの笛を聞いたか

「ラグビー」とは「一人のヒーローの為に皆が犠牲になれる、だからヒーローもそれを驕らない」と故大西鉄之祐氏{元早大・日本代表監督}は自分の著書の中に書いている。そんなラグビーに青春の全てを賭け先の大戦で仲間の為に自ら太平洋に沈んだ日系人の若者が70年前オーストラリアにいました。

日本が初めてオーストラリアのシドニーに領事館を開設{1897年}して110年あまり。日本とオーストラリアは長い間、友好関係を続けています。しかし(一時)、排日運動の嵐が吹荒れ、国交を断絶した時代が有りました。{1942年?後に1975年国交基本条約締結}第二次世界大戦時オーストラリアは連合国側として日本軍と戦いました。

日本軍によるダーウィン空爆、潜航艇によるシドニー湾奇襲攻撃、排日運動は日に日に強まり、オーストラリア在住の日本人、日系人は財産を没収され、強制収容された。その数4300人、その狂乱の最中にオーストラリアから愛された日系人ラガーがいました。{ワラビーズに邦人がいた!1938年9月2日朝日新聞掲載}。

WPJ{ウインストン・フイッリプ・ジェームス}IDE 愛称「ブロウ」

佐賀県出身(鍋島藩士の末裔)の綿織物商、井手秀一郎{ヘンリー・ヒデイチロウ・イデ}「1890年渡豪、1902年10月10日帰化」と母、クララの四男として、1914年9月17日ノースシドニーで生まれ、武士の子として温かさの中に厳しく育てられました。1944年9月12日没

三人の兄の影響で幼い頃よりラグビーに親しみ、ノースシドニー工業高校時代に頭角を現し、高校卒業後シドニーの名門ノーザン・サバーブ・クラブに所属ニューサウスウエルズ州代表、その後ブリンスベンのGPSオールドボーイズ・クラブに移籍クインズランド州代表になり同時にオーストラリア代表{ワラビーズ}に選抜され、1938年ニュージランド代表{オールブラックス}とのテストマッチに出場。

1939年オーストラリアのイングランド遠征に参加。

スピードを信条とするセンターバックスで、突進してくる敵に対し勇気あるタックルは、tower of strength{最後の砦}と呼ばれ尊敬されました。

ラグビー精神そのまま、激流の時代にオーストラリア人の恋人との愛に生き、仲間の為に死んで行ったラガー、ブロウ・イデ。

日本では殆ど知られていないブロウ・イデ、戦争と云う悲劇の中で精一杯生き、平和を願い戦場に散ったラガー、今もオーストラリアに愛され、ブロウの愛称で呼ばれる日系人、当時、激動の時代、何よりも白豪主義{1980年撤廃}のオーストラリアにおいて日系人のブロウは、本当にオーストラリアで受け入れられていたのでしょうか?

21世紀、今も世界のどこかで戦争が行われている。日本では先の大戦から64年が経ち、戦争体験者は年々少なくなっています。
しかし、子供たちや孫たちにあの悲劇を語り、戦争の虚しさを伝えなくてはなりません。

ブロウはオーストラリアで生まれ育ち、言葉に不自由はなかったはず、自分を日本人だと考えた事も無かったはずです、しかし、オーストラリアに52年間も住み、帰化して40年も経つ父は、財産を没収され収容所に収容されました。戦後ブロウの家族は母クララ始め冷遇を受けた、と云われています。{排日か、白豪主義の為なのか?}

そんな中で恋人「ヘザー・レイノルズ」は強い愛でブロウを支えました。
ブロウにとってのナショナリズムとは?アイデンティティーは?
人種を超え、一人の男に尊敬の念を持ったオーストラリアの真意は?
ブロウを描く事で当時の時代背景、戦争の悲しさ・虚しさが見えてきます。

戦争と云う激流に人生を翻弄され、平和を願い精一杯生きたラガーマン!

それを支えた恋人へザーとブロウ・イデの美しい心は、見る者の心を捉えて離しません。

ブロウは先の大戦で自ら志願してオーストラリア帝国軍に入隊、シンガポールで父の祖国である日本軍と戦い捕虜となり、他の仲間たちと、「泰面鉄道」(タイ~ビルマ現ミヤンマー145km)の敷設建設の労務に従事します、建設労務は想像を絶する過酷なもので、{捕虜たちは後に"死の鉄道"と呼んだ}餓えと疲労で栄養失調の中多くの捕虜が亡くなりました。ブロウは1944年9月他の捕虜たちと、輸送船で日本に向かう途中フィリピン沖でアメリカの潜水艦の攻撃を受け沈み逝く船と、共に海に沈みました。

ブロウは、仲間の早くボートに乗れと言う声に「まだ傷ついた奴らがいる」と満員の救命ボートに乗ること拒否したと言われています。
ブウロは何故、自らの場所を仲間に譲ったのでしょうか・・・。

このドキュメンタリー映画は、ラグビーフットボールと云うスポーツを通し仲間や他人への思いやり、優しさの大切さを伝えます。
日本でのラグビーワールドカップ招致活動を応援します。

「君はノーサイドの笛を聞いたか」公開会場及び日程

最も早い公開は、7月31日の日比谷公会堂・大阪市公会堂・佐賀市文化会館です。その他、会場・日程についてはこちらをご覧ください

鑑賞券につきましては、こちらへお問い合わせください。

関東ラグビーフットボール協会 03-3401-3321

関西ラグビーフットボール協会 06-6376-0456

九州ラグビーフットボール協会 092-715-8172

尚、各会場にて、当日券(999円)も取り扱っております。

※上映時間は77分間となります。