緑生園とは・・・
岩手県盛岡市にある知的障害者の更生施設「緑生園」(社会福祉法人岩手更生会・中野佳子理事長、畠山文裕園長)は、1966年の開設以来、主として15歳以上の高校生世代に当たる知的障害者の就労と社会生活、自立を支援してきました。緑生園の理念は「いかなる人も人として認められる社会」の実現にあります。3年間の全寮制での生活では、社会生活、自活を達成するため様々な教育訓練が提供されますが、緑生園ではその一環に「ラグビー」を採り入れています。他の同種の施設では見られない、まさにユニークなプログラムです。
初代園長の故・中野芳幸氏は、ふとしたきっかけでラグビーに巡り会いました。そして、「緑生園は貧乏だ。ならばボール一つで出来るラグビーが一番」と、園生の体力作りにラグビーを採り入れたのです。彼らが卒園後立ち向かわなければならない社会は、肉体的にも精神的にも強靱なものが要求されます。障害者だからという甘えは通用しません。中野氏のもくろみは当たっていました。知的障害者が生きて行くための拠り所として、ラグビーは計り知れない効果をもたらしました。
以来35年、<緑生園といえばラグビー>といわれるまでに、ラグビーは生活の一部に溶け込んだ存在となりました。4月に入園してきた園生たちの多くは、ラグビーはおろかスポーツを経験したことがほとんどありません。地面に転がったり、身体にドロが付くことを極端に嫌います。しかし、初めのうちこそ楕円球を怖々手にしていた園生たちも、3年間の園での生活を終える頃になると立派な社会人となり、そして、ちょっぴりたくましくなった「ラガーマン」となって巣立ってゆきます。まさにラグビーを通じて大人になって行くのです。また、9年前からは卒園したOBたちが集まる<緑生園OBチーム>が結成され、卒園後の継続生活支援の一環としてラグビーは計り知れない成果を挙げています。ラグビーは教育的価値のあるスポーツと云われますが、まさに典型例だといえます。
緑生園とニュージーランドとの交流
2001年、緑生園ラグビーは30周年を記念してラグビーの王国ニュージーランドへ初めて遠征を行いました。しかし、さすがのニュージーランドでさえ知的障害者のラグビーチームは存在しませんでした。王国では急遽、サウスオークランドキウイズ(=SAK)が結成されました。以来、双方の交流が始まりました。2002年にはSAKが初来日し、秩父宮ラグビー場で記念試合が行なわれました。この歴史的試合は、両国の知的障害者ラガーメンの少年達に生きる勇気と深い友情をもたらすことになりました。何よりも日本の、それも盛岡というローカルに位置する緑生園が、知的障害者ラグビーというカテゴリーをニュージーランドに伝授したのです。なにごとも輸入文化の国と揶揄される日本にあって、障害者スポーツをラグビー王国に輸出した緑生園の功績は計りしれなく大きいといえます。
2005年8月、緑生園はニュージーランドへ二度目の遠征を行ないました。遠生団は在園生10名、OBクラブ12名からなる「オール緑生園」(松田政樹監督)で王国に乗り込みました。これまで緑生園とSAKとの対戦成績は、いずれも緑生園が敗れていましたので、「絶対勝つ」を合言葉に、大きい相手に勝つための「全員でのデイフェンス、BKに展開し走り勝つ」を中心に練習をつんできました。
第1戦は、8月13日タマキクラブ(オークランド)で行われました。緑生園は前半リードされましたが、大きい相手を恐れることなくタックルし続け、SAKを1トライに押さえこみました。後半に入り緑生園がトライを奪い同点とするも、終了間際相手重量FWに押し込まれ、12対17で惜敗しました。
歴史的勝利!!
翌14日の第2戦は、オークランドのマヌカウローバーズクラブで行われました。第1戦は悔しい試合でしたので負けられません。緑生園のディフェンスは第1試合によりさらに厳しく大きい相手に2人、3人と束になり矢のように突き刺ささってゆきました。攻めてはインゴールからでも思い切って回して行き、徹底したオープンラグビーを展開しました。先制トライは緑生園が挙げ、前半は10対7とリード。
後半に入っても<タックルと思い切った展開>を徹底し、リードを保ちます。3トライをあげ、29対17とリード。残り数分。畠山園長いたたまれず、グランドに入り込まんばかりの必死の声援。松田監督、釜沢コーチもボールとともに移動し選手に懸命のアドバイス。
ノーサイド。ついに勝った。悲願の初勝利。グランドを飛び回り喜びを爆発させる選手たち。達成感と満足感に溢れた畠山園長の顔にもうっすら光るものが・・・・。「感動をありがとう」玉山マネージャーの涙が止まらない・・・。
緑生園がラグビーを始めて35年。知的障害者の教育の一環として「生きる力」をつけることを目的としたラグビーは、2005年8月14日、緑生園ラガーマンに大きな勇気と希望を与えました。
「緑生園ラグビーは、SAKに勝たなくてはいけない。」畠山園長は、2001年の初遠征で負けて以来、「勝つ」ことに執着してきました。それは、皮相な勝利至上主義ではありません。緑生園ラガーメンが長い人生を自信と勇気を持って生き続けるために、勝つという成功体験は欠かせないものだからでした。
今回の遠征で、インゴールからも徹底的に展開する緑生園のラグビーは大変高いレベルに達していました。これは、くるみクラブOBの松田監督をはじめ、毎週日曜日に熱心に指導したコーチの方々の成果であり、緑生園勝利の大きな原動力となりました。
彼らが真剣にプレーする姿、基本に忠実にプレーする姿は、知的障害者ラグビーという一つの分野に新たな意義を創造したことは確かです。何よりも一所懸命やることがスポーツの喜びであり楽しさであることを、彼ら知的障害者のラガーメンが教えてくれました。
ラグビーはいち早く少年を大人にし、大人に永遠に少年の心を抱かせる
日本・盛岡を発信基地とする知的障害者ラグビーは、ニュージーランドのみならず、これからはオーストラリア、イギリス、ヨーロッパなど全世界に伝播し、<いかなる人も人として認められる社会>の実現に向けてさらに飛躍して行くことでしょう。
「ラグビーはいち早く少年を大人にし、大人に永遠に少年の心を抱かせる。」このスポーツ格言をみごとに実践しているところ、それが知的なハンディを負った若者たちの学舎(まなびや)=緑生園のラグビーなのです。今年の「真田洋太郎賞」が、盛岡の知的障害者の更生施設「緑生園」に贈られることは誠に意義深いものであります。
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