立教ラグビー宣言

ラグビーは紳士のスポーツと呼ばれています。それはなぜか、この答えは近代英国にあります。当時、パブリックスクールと呼ばれる中・上流階級師弟の通う名門私学(ラグビー校など)は、フットボール(ラグビー・サッカー)を、将来のジェントルマン育成の手段として利用したのです。それ以降、サッカーがプロ化に伴い勝利至上主義やフーリガンの出現など、紳士育成手段としての色を失っていくのとは異なり、ラグビーは「ノーサイドの精神」「アフターマッチファンクション」など、独自の精神を残してきました。

しかし、そのラグビーも近年、ついにプロ化しました。1対1の「対抗戦」という意味も薄れ、トーナメントや勝ち点制のリーグ戦が主流になっています。プロでは勝利やトライに対するインセンティブも導入されています。勝っても負けても相手を心から称えるということが、難しくなってしまったのです。悲しいことに、国内外のTV中継では、明らかにラグビーの精神に反した選手の姿を、たびたび目にするようになりました。ラグビー精神が世界的な危機に瀕しています。そこで立教は、今年から次の「立教ラグビー宣言」を掲げます。

  1. 立教は、たとえルールで禁じられていないことでも、フェアの精神で自らを律してプレーします。
  2. レフリーの存在意義を正しく理解し、心から尊重します。意見があるときは必ずキャプテンを通します。
  3. ノーサイドの精神を具体的行動に移し、相手への敬意を示します。
  4. アフターマッチファンクションでは、決して自チームで固まらず、相手と積極的に交流します。
  5. ホームでは、たとえどんなに小さな練習試合でも、必ず簡易式アフターマッチファンクションを行います。
  6. 生涯、これらの精神を遵守します。

以上、これらは決して勝利を追求することと矛盾はしません。ラグビー精神を体得したチームの方が、目先のメリットに執着するチームよりも絶対に強いと確信しているからです。私たちはこの宣言を忠実に守り、ラグビーをプレーする少年・少女の模範となるべく日々行動します。私たちの考えに同調してくれるチームが増えることを祈ります。

2005年9月 立教大学体育会ラグビー部

立教ラグビー宣言について

立教大学ラグビー部コーチ・松山吾朗

1.なぜ立教宣言が生まれたか

「ラグビーは紳士のスポーツ」と呼ばれています。なぜ他のスポーツではなく、ラグビーがそう呼ばれるのか、皆様ははっきりと説明できますか?もともとは私個人がそのような疑問から、卒業論文の題として「ラグビーの教育的意義に関する史的考察」を研究したことから始まりました。その手の専門書や研究書を20~30冊ほど読んで、15年間もラグビーに関わってきて、日本一を目指すような環境でプレーして、高校や大学を何チームもコーチングしてきたのに、こんなにもラグビーの歴史や精神を知らなかったのかと衝撃を受けました。

そして立教の学生に、ラグビーがなぜ紳士のスポーツなのか、どこが紳士なのか、ラグビーの歴史ってどんなものかといったことを尋ねてみました。すごく真面目な学生ばかりなのにやはり誰も自信を持って答えられませんでした。「これはきっと今の選手たちもほとんど知らないことに違いない。せっかくラグビーに関わったのなら、私のようにラグビーの本当の精神を理解しないまま過ごすのはもったいなさ過ぎる。これは伝えなければ」と思いました。

常々私は、「子どもたちに、ラグビーを通り抜けて欲しくない」と思っています。せっかくたくさんのスポーツの中からラグビーを選んでくれたのだから、いいコーチングでラグビーの本当の楽しさを感じて知ってもらいたい、ラグビーがなぜ素晴らしいのかを知的にも経験的にも知ってもらいたい。それがあってはじめて、ラガーマンとしての誇り、ラグビーへの愛情が生まれるのではないかと考えています。せっかくラグビーの世界に勇気を出して踏み込んでくれたのに、多くの子どもたちがこれらを提供されずに、高校卒業あたりでラグビーから出て行ってしまう。これが悔しくてならないという指導者は、かなり多いのではないでしょうか。

もうひとつ、誰もが日本のラグビー選手の、グランド内外における素行の悪さやゲーム中のレフリーに対する無礼な態度は気になっているはずです。ラグビーを愛するものとしては、この国でラグビーが国民から一目置かれ、愛されるためには、ラグビー選手が素行を正さなければと思っていました。だったら今知ることができたこのラグビーの精神や意義を、立教だけでなく、すこしでも多くのラグビーに関わる人に知ってもらいたいと思いました。

そういう経緯で、立教ラグビー宣言を創り、アフターファンクションで呼びかけたり、HPに載せたりして、できるだけ世に発信していこうと考えました。シーズンも中盤の9月初旬、対抗戦初戦早稲田戦の前夜、ミーティングで部員たちにラグビーの歴史について、精神について、この宣言について、しっかりと時間をかけてレクチャーをしました。中世の民族フットボールから、サッカーと分離した経緯、階級闘争など歴史的なことから、当時のジェントルマンシップとはどのような精神だったのか。秩父宮に風呂を1つしか作らなかった歴史や、サッカーのフェイクインジャリー(シミュレーション)、対抗戦という言葉の意味とトーナメント制、勝ち点制への移行が持つ意味、有名チームの選手がレフリーを突き飛ばした事件、「前提」崩れ、イエローカードやビデオレフリーが登場しなければならなかったが悲しき事態、そういった話をすると、学生たちにとっては知らないことばかりだったのでしょう。とても興味深そうでした。

2.チーム、選手はどう反応したか

●選手の様子  *1月4日全部員に、匿名でアンケートを実施
ラグビーってなんで紳士のスポーツなの?」「ラグビーの精神って何?」選手たちは私の質問に対し、自信なさげに、テレながら曖昧な解答を出し合いました。ただ、自分たちも実は知りたがっていたテーマだったようで、多くの選手がすごく関心の高い表情をしていたことを覚えています。そして宣言を聞いた瞬間の反応・感想は以下のようなものでした。

  • 素直に、面白い、興味深いと感じた。ラグビー精神を理解するということは、ラグビーの歴史を辿り、理解する必要がある。ラガーマンとして、自分が命を懸けてやっている競技のルーツくらいは知っておく必要があると前から思っていたが、実際にその部分に触れる機会は皆無である。(4年生)
  • 紳士のスポーツであるということを歴史的に納得できて、とてもかっこいいとおもった。特に感じるのは、ルールなんてもともとないような野蛮なスポーツなのにも関わらず、プレイヤーには内在的にディスプリンが備わっていたということです。たとえば、ルール以外にもアンフェアなプレーや馬鹿なことをしないということ、相手に敬意を示すということは、僕は人間としてかっこいいことだと思います。(1年生)
      ここがラグビー宣言の最も大切なポイントです。未来のジェントルマンは、ルールをこえたところで、ジェントルマンとして自然にフェアを貫き自分を律する態度をとれる。ここに教育的価値があります。スポーツマンとは、ラガーマンとは、という問題です。日本にもかつては武士道という似た考え方があったようです。「武士たるもの」のような。メリットでもなく、法律でもなく、良心と精神と誇りにかけて自分を律する行動が自然に取れるかどうかです。私は警察官をやっていたときに、大人子ども関わらず多くの人たちから「そっちの方が得(楽)だったから」「そんな法律あんのかよ!あるなら言ってみろよ!」という声を聞きました。そういうのがはびこっている社会です。ここに、スポーツが、そしてラグビーが社会に存在する意義があると僕は思っています。

  • もしこのまま時が経つと、ラグビーが紳士のスポーツであることということも忘れられ、十数年後にはノーサイドの精神というものもなくなり、アフターファンクションというものもなくなるのではないかと思いました。だから、最初に聞いたときの印象は立教にとってもラグビー界にとっても、いい機会だと思いました。(2年生)
  • スポーツとしてのラグビーしか知らなかった自分が文化としてのラグビーを知り、このスポーツをやっていることを嬉しく感じた。また多くのラガーマンはこの文化を知らないため、広まってほしいと思った。(3年生)
  • いまさら意識してやることもないとさえ感じた。でも自分の今までのラグビーに対する姿勢、取り組みを考えると必ずしも宣言に沿った行動ができていなくて、私生活においては尚更、というのが心境です。(1年生)

      彼の意見は多くの選手に共通する実感でしょう。立教宣言は文章にしてみれば、あまりに当たり前で平坦なものです。「そんなの知ってるよ。」しかし自分に照らし合わせて振り返ってみると、決してできているものではない。この宣言は、それに気づき、地道な一歩を踏み出すきっかけになったようです。

  • 特別難しいことではないと感じた。ただ一つ難しいと感じたのは、「うまい」プレーと「汚い」プレーとの境目はどこなのであろうかということであった。また大学を背負って体育会として戦っているのならば、やはり勝つことにこだわるべきではないのかとも思った。そういう意味ではこれは甘いのではないかと感じた。(3年生)

      皆さんは「上手いプレー」「せこいプレー」「汚いプレー」について、すべて分別できますか?これも先ほど出てきた、ジェントルマンシップ、フェアの精神で説明しました。ラグビーはあの広いグランドで15対15、レフリーが見えないところなど、あって当然です。見えるわけがありません。ルールは改正続きでグレーゾーンが山ほど存在します。そんな中で、これは上手い、これは汚いなどと、ひとつひとつ仕分けをしたらきりがありません。ではどうするか。各自、各チームの良心と誇りで判断するんです。こうした行動が自然に取れる人間が社会生活を送り、時にはリードしたとき、スポーツとラグビーの存在意義が生まれてくるのだと思っています。

  • 試合でギリギリの汚いプレーをできないのは不利になるなぁと思った。(1年生)
  • 最初は負け犬の遠吠えだと思いました。自分達はフェアプレーの精神を貫いているため、卑怯な事はしない。だから勝てません。と書いているように思いました。(1年生)

      勝利を追及することと、フェアに戦うことは矛盾なく並立しうるか。しかし自分のメリットだけを見境なく追求する人間がスポーツを通じて育ち、そんな人間が社会にあふれたらどうなるか。世の中は戦争と弱いものいじめだらけになるでしょう。といいつつも、本気で勝利を追求する過程にしか得ることができない人間的成長、経験、絆、強さ、優しさというのは、確実に存在します。

      ではどう考えるか。私は「フェアに戦うことは勝利への最も効率的な手段であり、条件となる」と説明しました。(円グラフを使って)勝利至上が50、フェアの精神が50。勝利を52にするとフェアは48になる、こういうものではないのです。(棒グラフを使って)勝利至上が50、フェアが50なら、フェアの棒の上に勝利至上の棒を乗せてしまえば、100になるじゃないか。ここでは「フェアの精神」というものが、「そんな自分への、そんなチームへの誇り」「人間的成長」など、様々な形に化けて大きな力になっているのです。「俺ら立教はこれで勝つんだ」と。こういった疑問を出した選手は、ミーティングのときに欠席した者ばかりでした。後日に欠席者を集めて説明会をしたのですが、札幌ミーティングほどのインパクトは与えていなかったために、このような誤解が生じたのだと思います。

●あるコーチの様子

特筆しておくべきことは、立教のコーチが一番苦労したということです。チームを責任持って一年間率いれば、勝敗に対して激しく感情的になるのは当然です。実は立教のコーチはレフリークレーマーでした(実は私も2年前まではクレーマーでした・・・)。「オイレフリー、ノッコンだろ!どこ見てんだよ!」「オフサイド知ってんのかよ、このヘボレフリー!」
立教宣言を打ち出したときに、選手たちはクスっと笑っていました。みんな分かっていたので。そしてそのコーチが「これからは僕が一番気をつけます」と恥ずかしそうに言ったときには、選手は大爆笑でした。もちろん、そのコーチは何度も咄嗟に口に手を当ててクレームを体内に収めてくれ、苦しそうにですが、少しずつ確実に変わってくれました。同様の姿になりやすい、観戦に来てくれるOBや父兄に対しても、やはり立教宣言の意味はしっかり伝えたいと思いました。


3.他チームはどのように反応したか

●試合中の光景

ゲーム中の素行に関しては、相手側には立教の意図は伝わっていなくて当然だと思います。ただ、こちらがレフリーに対して敬意をしっかりと表し、余計なセルフジャッジや不満の言動を行わなかったこと、様々な局面でアンフェアな技術は放棄したことなどが、どれだけ影響したのかどうかは分かりませんが、相手側にもそのような言動はない、クリーンに力を出し合うゲームが多かった気がします。ゲーム後の「スリーチアーズ」は、クラブでは当たり前の風景ですが、対抗戦1部では相手側はきょとんとしていました。しかし試合直後にスリーチアーズで自分たちを称えられて、悪い感じは決して持っていないと思います。

●ホームでのアフターファンクションの光景

アフターファンクションで「立教宣言、知ってるよ」と言ってくれた他チームの選手もいました。立教富士見グランドでBゲームですがアフターファンクションを開き、忙しい中アフターファンクションを開かせてもらった意味を説明したところ、相手側(とくに相手側の指導陣)はすごく感心してくださっていたようです。相手は山梨学院大のCと東大Bですが、多くの選手が「アフターファンクションって何?どう振舞えばいいの?」という状況でしたが、それだけにファンクションを惰性でこなす変な癖はついておらず、新鮮な感覚で立教と交流し、少しテレながらも心から楽しむ経験をしてもらったと思います。機会が少なく慣れていないということが原因ですが、部歌や校歌をあやふやにしか歌えない選手たちを見て、コーチ陣が「自分の責任」と赤く小さくなっていたのも印象的でした。また、タマリバCとのファンクションでは、むしろあちらから立教の1年生たちの緊張をほぐしてくれ、18歳と30歳過ぎの素敵なおじさんとの、不思議で貴重な交流ができました。

●対抗戦一部・アフターファンクションの光景

アフターファンクションではチームによって明らかに差が出ました。これは指導者の差なのか、伝統の差なのか分かりませんが。すごくフレンドリーに交流してくれたチーム、真面目で素敵な選手ばかりなのに、完全に相手と交わらない癖がついているチーム、かつて素行の悪さで有名だったのに今は対抗戦一素晴らしい態度で交流してくれたチーム、ひたすら自分たちで固まり、乾杯前からフライングで飲食し、話しかけられても気まずそうに自チームの味方の中に逃げ帰って、ほとんど交流にならなかったチーム。チームによってはっきりと態度に差が出ていました。

一方でコーチとして見ていて、立教の選手たちの会話力・社交性のなさも痛感しました。コーチとして事前にどんな話をすればいいかのヒントをたくさん与えてやればよかった気もします。過保護のようですが、「今日はありがとうございました」と言ったきり会話に困って沈黙では、相手側も気まずくなって当然です。そこは反省すべき点でしょう。


4.立教宣言の実践はどこまでできたか

  1. 立教は、たとえルールで禁じられていないことでも、フェアの精神で自らを律してプレーします。
    • ほぼ達成。しかし「上手いプレー」「せこいプレー」「汚いプレー」の区別に困ったという意見もあった。
  2. レフリーの存在意義を正しく理解し、心から尊重します。意見があるときは必ずキャプテンを通します。
    • 何度か反射的に「なんでだよ!」というニュアンスのアクションした選手がいたが、すぐに宣言を思い出しレフリーに敬意を表わした。そのうえで、レフリーとコミュニケーションをとり、疑問を確認できた。ほぼ達成
  3. ノーサイドの精神を具体的行動に移し、相手への敬意を示します。
    • グランドで集まっている相手チームに近寄っていき、スリーチアーズを行ったが、うまく表現し切れていない感触があった。ゲーム後はチームで反省トークをするよりも、観客に並んで礼をしに行くよりも前に、ノーサイドの直後にまず相手を自然に称えるようにしたい。
  4. アフターマッチファンクションでは、決して自チームで固まらず、相手と積極的に交流します。
    • 立教の選手がまだ慣れていない。コーチに促されないとなかなか一歩が踏み出せない。また会話力がなく、すぐに気まずい雰囲気になっているケースが多々あった。しかし挨拶に行って敬意を表し、交流しようとする態度をとることができたという面で、最初に一歩は踏み出せた。
  5. ホームでは、たとえどんなに小さな練習試合でも、必ず簡易式アフターマッチファンクションを行います
    • 完全に達成。相手からの感想も取り入れ、形式を微調整し、継続していきたい。なにもミーティングルームでかしこまってやる必要はない。試合後のダウン前か後に、グランドでペットボトルと若干のビール、紙コップを用意して、気軽に自然にすっとやれば十分。たったの15分、各チーム2000円でラグビーを数倍楽しめる。
  6. 生涯、これらの精神を遵守します。
    • 4年生には、自分たちで宣言を打ち出し、自発的に遵守しているのだという自覚を促したい。そんな立教の一員であったことへの誇りを持って生きていってもらえるように、しっかりと振り返ってもらいたい。今年はよくやってくれたと思う。

●選手からのコメント *1月4日全部員に、匿名でアンケートを実施

  • 日々の練習中の意識から、レフリーに対しての考えが変わりました。判断基準の異なるレフリーを事前に想定して練習したこともあり、試合中にジャッジに不満が起こることは、ほとんどありませんでした。(3年生) 
  • 試合中のベンチの態度は少し見つめ直すとこ(審判に対してのヤジなど)があったが、試合をやっている選手のセルフジャッジはなくなったし、相手に対して乱暴な態度をとっている人もいなかったと思います。(2年生)
  • アフターマッチファンクションの時、この宣言を思い出し自分からよく話かけていった。まだ「この宣言があるから…」といった行動が多いため、この行動が当たり前になるように来期以降心がけたい。(1年生)
  • 負けたり最悪のプレーしたときに行く気になれない。まったく知り合いがいないときも。(4年生)
  • 立教ラグビー宣言を理解、遂行し、勝たなければいけないと思います。早稲田がやっていたら、皆が真似すると思います。(1年生)
  • ここまでの宣言を出したからには強くなくちゃいけない。強さが伴わないとだれも注目してくれなくなる。(3年生)
  • やはりラグビー部を去ってこれからを、どれだけこの宣言を守っていけるかが大切なになってくるのかなと思っています。(4年生)
  • 私が考える立教ラグビー宣言における最大のメリットは、「人間的成長」に他ならない。『今の日本のラグビーには本来のラグビー精神が欠けている』という意見が正しいとするならば、本来の姿を取り戻そうとするためには、「我慢」が必要になってくるのではないだろうか。時には言いたいことを自制し、時には死にたくなるほど悔しい気持ちを押さえ、相手を称える。「我慢」ができるチームほど素晴らしいものはない。我慢の中から、人のために、とか、仲間のために、という意識が出てくる。(4年生) 
  • 一般の人がこの宣言を見て、そんなチームの試合を見て、感動してくれたり、共感してくれたりすることで、ラグビーの素晴らしさ、他のスポーツとの違い、人間的成長度というものを感じてくれたのならば、ラグビーの競技人口の増加にもつながり得ると思う。自分が親だったら、「こんなことを考えているチームで子供にラグビーをやらせたい」と感じると思うから。(4年生)


          松山吾朗氏略歴/早稲田大学ラグビー部でプレーし、卒業後は警視庁に勤務。埼玉大学教育学部社会人編入や3年間の立教大学ラグビー部コーチを経験。現在は横浜市立養護学校勤務。4月からは神奈川県立高等学校勤務が決まっている。
第13回全国クラブ大会に先立ち、1月7日に熊谷で、クラブチームの諸課題を話し合う<クラブカンファランス・イン・全国クラブ2006熊谷>が開催され、そのなかで「立教宣言」が紹介されました
第13回全国クラブ大会に先立ち、1月7日に熊谷で、クラブチームの諸課題を話し合う<クラブカンファランス・イン・全国クラブ2006熊谷>が開催され、そのなかで「立教宣言」が紹介されました