第11回目の「みなとスポーツフォーラム~2019年ラグビーワールドカップに向けて~」は元ラグビー日本代表の大畑大介氏をお迎えし、「今、ラグビー界に思うこと」をテーマに4月25日(月)、赤坂区民センターにて行いました。
2010-2011シーズンでプレーヤーとして引退した大畑氏。世界的ラグビープレーヤーとして、ご自分のラグビー人生やRWCでの経験、海外でのプレー経験などを振り返り、グローバルな視点でラグビーに対する思いをストレートに語っていただくとともに、RWC2019や今後の日本ラグビー界に対しての期待や提言などをご講演いただきました。

大畑大介氏
大畑大介氏

【ラグビーとの出会い】
子供のころはひねくれものだったと話す大畑氏。お父さんの影響のもと、小学3年生からラグビーを始めたそうです。その頃のラグビー界では、釜石がV7を達成しており、中でもSO松尾選手が大畑選手にとってのヒーローだったと話されました。ところが学校の大半の友達にとってラグビーはほとんど縁の無いもので、自分のヒーローがみんなにとってはそうではなく、その現実にショックを受けたそうです。この経験がその後の大畑氏のラグビーに対する思いや関わりかたに大きく影響し、ラグビーをしている子供たちに、当時の自分のような思いはさせたくない、その為にラグビーをメジャーなスポーツにしたい、という気持ちを常に持っていたそうです。また、いま振り返ってみると、子供のころの大畑氏にとってラグビーは自分の殻を破るものであり、自分を表現するものでもあり、トライやタックルが楽しかったと述べられました。

【ラグビーを発信したい】
TBSのスポーツマンNo.1決定戦で2回優勝(2001年、2003年)した経験について、「自分の活躍すべてがラグビーの評価となると思い挑んだ」と述べられました。ラグビーをやっている子供たちが自慢できるように、ご自身が子供のときに感じた感動を与えられるようにとの想いが結果につながったと話されました。
ラグビーというスポーツについて「ラグビーは自分一人の力ではできない、みんなに受け入れられ、お互いを知り、尊重し合うチームが良いチーム。自分がボールを持って活躍できるのも周りのおかげで感謝している」と自らの経験に基づき語られ、また、「これまで本当に多くの人のサポートがあってこそラグビーを続けられた。辞める時には周りの人におつかれさま、ありがとうと言われる状況で辞めたいと思いこれまでやってきた。ラグビーはまだまだメディアで取り上げられることは少ない。仲間や子供たちに自分が感じたさみしい思いをさせたくないという思いがあったからこそ辞めずに活動することができた」と述べられました。

【海外での経験】
海外での経験について大畑氏は、「ゼロからのチャレンジ。日本を背負う気持ちでやってきた」と話されました。2001年~2002年、神戸製鋼に在籍したまま、日本のオフシーズンを利用して、シドニー(オーストラリア)のノーザンサバーブス・クラブでプレーした時には3本目からのスタートで自分がいかに温室にいたのかを実感。しかし父親からの「楽よりしんどい方を選べ、その方が得るものは大きい」との教えもあり必死で頑張った。ファーストチームで14のジャージを着た時は高校生のときと同じような嬉しさだったと述べられました。

大畑氏にとってW杯は特別なもの。また、海外では大きな注目を浴びている。しかし今の日本ではそうではない現状があり、このままでいいのかという思いを持っていたといいます。2011年でもなく、2015年でもなく、2019年の日本開催が決まって良かったと思う。なぜならば、「十分な環境や準備ができた状態でなければ本当に盛り上がることはできないと思っていた」から。2019が日本ラグビー界の新たなスタート。大畑氏ご自身も、そのスタートラインまでに自分になにができるかを考えていると。そして「プレーできるのはうらやましいし、自分もなにかアプローチできれば幸せだと思うしそうしたい。これまで体を張ってやってきて、何としてもよかったと思えるものになってほしい」と述べられました。
また今年の9月、ニュージーランドでのワールドカップへ臨む日本代表に対して「ラグビーは人とのつながりが強さを生む。勇気を伝えるプレーをして日本代表を目指す子供たちへ背中をみせるようにプレーしてほしい」とエールを送りました。そしてラグビーファンへは「ファンのみなさんには選手が桜のプライドを持てるよう温かく、厳しい目で見守ってほしい。ラグビーを通して多くを学び、2019年までにチャレンジできるよう頑張りましょう」と述べられました。


【質疑応答】

大畑さんにとってのベストゲームは?
「難しいですね。やはり日本一を決めた試合は印象深いです。神戸製鋼で自分がはいってからこそ日本一になれたという思いもあるからです。ウイングからセンターへコンバートされ自分が機能して優勝できたからです。V7を果たした後に負けていた神戸製鋼で自分の力が加味されながら優勝できたというのでベストゲームだと思います」

これまでのベストトライは?
「何でしょうね(笑)人生の中でのベストトライは間違いなくイタリア戦でのインゴールノックオンですかね。あの時はどこかで気が緩んでいたのだと思います。子供のころから20年ラグビーをやろうと決めていて、そうしたら自分にとって自信や財産になると思っていました。だから2003年くらいに引退しようかと思っていました。そんな気持ちが芽生えたころのイタリア戦です。いろんなトライよりも、トライできなかったという意味で一番印象に残っています」

ライバルはいますか?
「自分です。昨日の自分です。昨日の自分に負けないことが一番の目標です。みなさんの想像とは裏腹かもしれませんが僕はかなり練習します(笑)。周りの選手も一緒にやりたがらないくらいです。どんなにきつくとも自分がこれだけやると決めた練習は絶対にやってきました。そういう意味で昨日の自分には負けたくないと思っています。でもプレーヤーの中でも一人だけいます。今は亡き仙波優です。一番大変な時期を一緒に過ごしてきて一緒に頑張ろうという気持ちで、一番正面にいて自分を奮い立たせてくれました。一番テンションを上げさせてもらった人です」

もっとも影響をうけた指導者は?

「高校の監督の土井先生です。自分の基礎を完全に作ってくれた人です。小学校から中学校では普通の選手だったのに、東海大迎星に入って、変わりました。高校の一年生の時の担任の先生でもあり、とても慕っています。人生の中で一番成長したと思うのも高校時代でしたし、毎日成長を実感していました。まだ練習中に水を飲んではいけないという理不尽な時代でしたが、若造だった自分たちの話にもちゃんと耳を傾け、納得がゆくように説明してくれました。今でも相談にのってもらっていて何かあれば連絡する関係です。この人のもとでラグビーができて良かったと思っています。すごく恩を感じています」

これから指導者になるというビジョンはありますか?
「今のところはないです。今まで理不尽なことというか非常識なこともあってそれを常識に変えてきました。でも社会に出た時には経験不足で、社会に対してもできていないことはまだまだあって、そこで人を育てられるかというと違うかと思います。指導者になるにはもっともっと深い人間にならなければと思っています。ラグビーに対して100%本気で向き合ってきた自信はあるのでまた違った視野でラグビーを見ることができればと思っています」

来年以降はどうされますか?
「今現在、いろんなお話をいただいていて、いろいろな可能性があると思っています。自分で殻を作らずチャレンジしていきたいです。今からが本当の人生だと思っているので、次何かをするにあたって情熱を燃やしてチャレンジしていけるものをやっていきたいと思っています」

怪我と戦っている間どのようにモチベーションを維持しますか?
「できる自分がいると信じていました。怪我をして当然マイナスなことが多いです。それでもグランドに出られないことや試合にでる選手をうらやましいと思うことはなかったのですが、自分の過去について考えました。できることをひとつひとつやっていこうと。焦ることはあってもあせらないように怪我をしてもこれができるようになったということを感じながら取り組んできました。怪我をしたのはしょうがないし、とにかく自分はできるんだという気持ちでした」

選手の海外チャレンジについてどう思われますか?
「行きたい時に行けばいいと思います。それによってつぶれる人はつぶれるし、上がれる人は上がります。自分の立ち位置をしっかり作っていくことが大事だと思います。帰ってきた時に日本を強くする、日本のためにやるんだという気持ちがあり、ニーズがあるのならどんどん行くべきだと思います。しかし日本での立ち位置がしっかりないのに逃げるように海外に行くのだけはやめてほしいと思います。いろんな経験をする中で学ぶこともあるのでいけるのならば行けばいいと思います」

ご自身も出演されている日本テレビ「ラグマヨ」でプッシュしたい選手はいますか?
「山田選手を個人的におしています。自分の若いころに似ているからです。日本のラグビーが盛り上がるために華のある人間も必要だと思います。賛否両論はあると思いますが、自分以上にラグビーに対する能力はあると思いますし、日本代表に対する確固たる努力も期待しています。山田選手には2011、2015年に活躍して子供たちの憧れになれと言っています。今後の活躍に期待です」

2019年に向け、大畑さんは具体的にどのような活動、そして2019年はどのような役割を果たしますか?
「難しいですね。子供のころからラグビーは自分を表現する武器だとおもっていて、ラグビーがあったからこそここにいます。ラグビーが大好きでもっと大きなものになってほしいという思いもあります。今現在ラグビーの本筋的な何かで生きていくということは決まっていないのですが、手を伸ばせば届く距離で側面支援しつつ、現場に戻った時にも、ちゃんとラグビー界を見ていたんだなと思わるように携わっていきたいと思います。またラグビーを世の中に広めていくことも使命だと思っています。ラグビー伝道師 大畑大介でありたいと思っています」

今回のみなとスポーツフォーラムにおいて、参加者からの参加費111,000円と、会場で募金いただいた47,551円及び77USドルは、東日本大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付させていただきます。

次回の第12回は講師にサントリーサンゴリアスのGM兼監督のエディー・ジョーンズ氏を招き、「ラグビーワールドカップで勝つチームの条件」をテーマ(予定)に5/31に開催します。
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