1月30日に開催された、東京都港区と日本ラグビー協会が主催する「みなとスポーツフォーラム 2019年ラグビーワールドカップに向けて」に、プロランニングコーチの金哲彦氏が登場した。
現役時代に箱根駅伝で区間賞を獲得。指導者として数々の五輪メダリストを育て、NPO法人の創設や、テレビ解説など多方面に活躍する金哲彦氏が「文化としてのスポーツ」について語った。

■企業スポーツの指導者から「プロランニングコーチ」へ

金哲彦氏
金哲彦氏

まず、私が「プロランニングコーチ」として活動するようになったことについてお話ししようと思います。現役時代は早稲田大で箱根駅伝を走りまして、リクルート入社後はマラソンを28歳まで走りました。指導者としては小出義雄監督の片腕として有森裕子さんや高橋尚子さんの指導をしてきました。

しかし、リクルートの監督をしていた2001年に休部宣告を受けました。役員の方に直談判したのですが、その時に言われた忘れられない言葉があります。「君たちの役割は終わった」と言われたんです。それを聞いて非常に衝撃を受けました。
会社の宣伝や社員の一体感、機運を高めるために頑張った結果が、効果を得たから役割は終わり、となったわけです。

このことがあって、自分たちがやってきたスポーツについて改めて考えさせられました。そして、陸上では初の試みでしたが、総合型スポーツクラブをつくろうと決意したわけです。
まず、自らの考えを2つの理念に集約しました。ひとつは「競技スポーツと生涯スポーツの融合」。私は競技しかやってこなかったんですが、一般の方にも開かれたクラブにしようということです。現在は東京マラソンのような形で具現化していますが、当時はこうした状況をなかなか想像できませんでした。

もうひとつは「スポーツ文化の確立」。私たちは全てをかけてスポーツに取り組んでいましたが、企業にとっては同じ価値ではありませんでした。それは日本にスポーツが文化として根付いていないからではないかと考えました。これから何十年、何百年かかるか分かりませんが、スポーツ文化の確立を理念として掲げようと思いました。これが出発点です。

余談になりますが、実業団時代にこういう姿はスポーツにあってはいけないなと思わされたことがありました。
過去に日本選手権で優勝した選手がいました。しかし、ケガで辛い年月を過ごして、最後は逃げるように引退しました。その選手と引退から7年後に再会したのですが、「私は引退してから何年もテレビでマラソンや駅伝を見ることができなかった。辛い思い出だった」と言われました。青春をかけて日本一になったスポーツを、見られない……。私は胸が痛み、選手にこういう思いをさせてはいけないと強く感じました。この経験も私の活動の原点になっています。

■東京マラソンが生み出した「新しい文化」

続いて東京マラソンのお話です。東京マラソンは競技スポーツと生涯スポーツの融合を具現化したものです。競技マラソン出場の200人だけではなく、普通の市民3万6000人も同じコースを走ります。それによってビッグバンが起きました。普通の人々が東京のど真ん中を走ることによって、東京中がお祭りのように盛り上がりました。今では日本最大のマラソン大会です。申し込みは最初は9万5000人でしたが、今は30万人以上になり、沿道で応援する人が160万人もいて、経済効果は376億円と言われています。

このマラソンブームによって新しい文化が生まれてきました。「美ジョガー」という言葉も生まれました。これに女性はすごく反応しまして、みなさん走る時の格好がすごくおしゃれになりました。東京マラソンまでは走るのはダイエット目的とみられて恥ずかしいとか、ストイックな人だけがやるものというイメージがあったと思います。それが東京マラソンが始まってからは、走るのはかっこいいと思われるようになったので、みなさん堂々とおしゃれをして走るようになりましたね。

こうしたムーブメントができたのはスポーツイベントの成功が大きなカギになったのです。スポーツイベントが成功したからメディアが注目して、新しい文化を生み出しました。東京マラソンをテレビや雑誌が取り上げなかったら、ランニングのイメージは変わっていなかったと思います。そう考えるとメディアの影響は大きいと思います。

最後に私たちが運営している総合型地域スポーツクラブの特徴について説明します。まず、「多種目、多世代、多目的」ということが挙げられます。そして、受益者負担の会費制です。自治体ではなくNPO法人なので、会費をいただいて運営しています。こうしたスポーツクラブが多くできることで、地域スポーツがさらに充実します。そして、日本のスポーツシーンは大きく変わっていきます。1人1人の気持ちが変わっていけば、大きな夢の実現につながりますから、私もそのためにスポーツを続けていこうと思います。

■再出発の際にNPO法人を選んだ2つの理由

以下は質疑応答の一部。

──選手が成長していくにはコーチの力が大きいのでしょうか、選手の力が大きいのでしょうか?

両方だと思います。スポーツでどんなに優れた選手がいても、しっかり導かないと伸びていきません。素質があることも必要ですし、能力がある、情熱があるコーチも必要だと思います。
ただ、川内(優輝/埼玉県庁)君はコーチがいなくて一人でやっています。彼は今までマラソンにはいなかったタイプの選手ですね。五輪代表候補になっていますから、すごいなと思います。

──ラグビーでも陸上でも、世界と戦う上で体格の違いをどう克服すべきでしょうか?

陸上界ではアフリカ勢に勝てなくなってしまいました。フィジカルの差が出ています。体格の特徴的にはひざから下が細くて、骨盤が前傾していて、走ることにすごく適した骨格なんです。そして、子どものころから5キロも10キロも走ってますから日本の環境とは違いますね。

ラグビーのことは私が語るのは難しいのですが、優秀な素質を持った子どもたちにラグビーをさせるのはひとつの方法だと思います。野球やサッカーではなく、身体能力の高い子どもにラグビーを選ばせる。そのためにはヒーローが必要ですし、魅力があるスポーツになることが大事だと思います。

──再出発の際に株式会社ではなく、NPO法人を選んだ理由は?

明確な理由が2つあります。ひとつは株式会社の存在意義は株主のためにあるので、もうからないと続けられないということです。投資をしてくれた人にリターンをする必要があるので。私たちは、もうからなくてもスポーツをキーワードにしてずっと続けていくことが目的ですから、NPOの仕組みの方がふさわしかったので決めました。

ふたつ目の理由はサッカーくじの「toto」の補助金をもらえたからです(笑)。これは現実的な話です。総合型スポーツクラブを設立するにあたって「toto」の補助金をいただけました。それを原資として運営をしていますので、それが大きな理由になりました。

──地域スポーツクラブをつくろうという話が途中で止まってしまうケースが多いのですが?

これは残念ながら全国各地で起きています。総合型地域スポーツクラブは、行政主導で一時的にお金を出すだけでは続かないんです。会費を取らない形では2年目から予算が切れればできなくなるからです。

NPOは存在意義が社会貢献なんですが、会社組織と同じようにお金が回る仕組みをつくっています。会費もとって、それに見合う仕組み、コーチングをつくっていく。それが大事なんです。そのためには専任スタッフが必要です。総合型スポーツクラブを運営するには彼らがいないとできませんから。そういう仕組みをつくって、情熱のある若いスタッフに託していかないと、なかなか続かないと思います。

■金哲彦氏に聞く「あなたにとってラグビーとは?」

「男のスポーツだと思います。私自身はやったことはないですけど、プレーするとしたら嫌いじゃないだろうな、と。ぶつかるのも好きですし、ラグビーをやっている友達もいましたから。そういう意味では自分にも合っているスポーツだと思います。
2016年には五輪で7人制ラグビーも正式種目になりますし、19年には日本でW杯が開催されます。ここで一気に普及して盛り上がっていくといいと思いますね」

今回のみなとスポーツフォーラムにおいて、参加者からの参加費と、会場での募金額の合計32,620円は、東日本大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付させていただきます。