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【連載企画】Unsung Hero #11 〜レフリー委員長(沖縄県協会)〜


三支部協会同様、47都道府県協会にもレフリー委員会が存在する。それぞれの地域でラグビー事情は異なるが、レフリーの活動も同様に、その地域の実態に合わせて様々な取り組みを行っている。地域では多様な課題を抱えているが、今回はスポンサー獲得など、レフリー委員会としては先進的な取り組みをしている沖縄県ラグビーフットボール協会レフリー委員長の外間 元人(ほかま げんと)さんにお話を伺った。

– 外間さんがラグビーを始めたきっかけは?
私がラグビーを始めたのは高校2年生の秋からです。小中学校では野球やバスケット、高校入学時は陸上部に入部していました。たまたま同じクラスにラグビー部のキャプテンの子がいて、彼に「とりあえず新人戦だけでも出てくれないか」と2年生の9月に誘われました。新人戦まで時間もあるので一回だけだったら「いいよ」と軽く答えると、その後すぐに監督に呼ばれ、「1月に試合出るんだったら、9月から練習に来い」と言われ、そのまま練習に参加することになりました。私の母校である首里高校は、それまで九州大会に行ったことはなかったんですが、大会に向けてのミーティングの時、キャプテンが「九州大会に行ったら、ゲントもラグビー部に残るって言っているから」と冗談を言ったんです。私は予選で負けるだろうと思ったので、「いいよ」とまたもや軽く返事をしていました。しかし、首里高校初の九州大会出場を決めちゃったんです。そこから、20数年が経ちましたがもう何かの縁ですよね。同級生は10名近くいましたが、今でもラグビーに関わっているのは私だけなんです。もう選手はやめました。30歳ぐらいで。

– 選手をやめた後にレフリーを始めた?
レフリーの資格を取ったのは大学院1年生の23歳のときですね。大学のラグビー部の監督からレフリーの資格を取らないかと提案され、監督と一緒に鹿児島県のC級認定試験に行ったことが始まりです。その後、沖縄に戻ってきたら、高校時代の恩師がレフリー委員長だったこともあり、レフリーの道をずっと歩んできました。

– 今まで一番思い出の深い試合や大会は?
私が担当した試合はどの試合も大変思い出深いですが、やっぱり花園ですかね。その花園は第100回大会の無観客試合。結果的には私が花園で笛を吹く最後の大会になりました。「これが、第一グラウンドから見えるスタンドの景色か」と、誰もいないスタンドを見渡したのを覚えています。

– 沖縄のラグビー事情について、レフリーの方の中には沖縄本島以外の方もいる?
ほとんどのレフリーが本島に住んでいますが、転勤で離島に移住している方もいます。今も一人、宮古島に住みながらレフリー活動をしている方がいますが、大会があると本島に帰ってきます。移動は大変ですね。

高校委員長の仲宗根さんとも連携してレフリーを支える

 


– 外間さんのお仕事は?

特別支援学校の寄宿舎指導員です。シフト制なので朝はゆっくりで、夜は少し遅いですね。

– そういった生活リズムの中でレフリー活動は大変では?
意外といい面もあって、基本11時半出勤、20時までの仕事です。朝、子供を送り出した後に、自分のトレーニングする時間を確保できる。もし通常の8時半から17時だったら、自分の生活スタイルや環境としては難しかったのかなと思います。結果的には今の仕事が一番、良かったのかもしれません。

– 沖縄を離れて大会に行く際、移動や宿泊など拘束時間が長くなるが、周りの理解は?
職場もそうですが、一番は妻の理解が大きかったと思います。僕は結婚する前から、レフリーを頑張りたいと漠然と言っていました。結婚後、実際に本気でやり始めたとき、「40歳まではやらせてほしい」と妻に伝えると、妻は快く送り出してくれました。GWをはじめ、連休という連休は県内におらず、夏休みも年末年始もほぼ沖縄にいなかったですが、それを妻がずっとサポートしてくれたのは本当に助かりました。しかし、実力的に全然結果が出なくて「もうやめようかな」と、妻に愚痴をこぼしたら「あなたが40歳まで頑張るって言ったでしょ」と言われました。それが励みになって続けたことが、花園の担当につながったと思っています。

– 沖縄県のレフリーのいいところは?
他の都道府県も同じかもしれないですが、沖縄県は小さなコミュニティなので、試合数が少なく、レフリー数もそんなにいないですね。ただ、セブンスの試合や九州大会があると、どうしてもレフリーの数がたくさん必要になってきます。そんなとき、普段はレフリー活動をしていないOBレフリーの方々、例えば前レフリー委員長や前々のレフリー委員長がアシスタントレフリーを快く引き受けてくれる。本当にそういう関係性はいいなぁと思います。先輩も現状を理解し、沖縄県のラグビーを支えてくれている、「お願いします」と声を掛けたら、引き受けてくれる。とても心強く助かっています。

– 今実際に本格的にレフリーとして、実働しているレフリーは?
34人ぐらいしかいなくて。人数的に厳しいのが現状です。その他はチームに帯同したり、選手兼任だったりです。たまには無理を言ってお願いすることもあります。例えば、ARだったらやりますと言ってくれる方々に、レフリーをお願いすることもあります。皆さん、何だかんだ言いながら引き受けてくれるので、大変助かっています。

– 大変だなって思うことは?
私が委員長になってみて思うことはレフリーの数が圧倒的に少ないため、同じレフリーに毎回お願いしなければいけない。今はまだ試合数が少ないので、どうにか対応できているかなと思います。また、私がレフリーをしているときに思ったのは、県内では試合数が少ないため、より強度の高い試合を求めたとき、どうしても県外に出るという選択肢が一番になります。県外で強度の高い試合を担当することで、自分の自信にもなったのですが、県外に出ていくことはやっぱりとても大変でした。やっている時はあまり考えていませんでしたが、時間的な負担と金銭的な負担は大きかったと思います。

若手レフリーへのコーチングも積極的に行い、育成に尽力する

 

– 外間さんがスポンサー獲得の企画を?
そうですね。レフリー委員会では、私が始めました。レフリーの自己研修のために、私が県外へ行く時は、最低でも56万円、シーズンで2030万はかかりました。それを、後輩へ同じように負担をして、県外へ研修に行けとは言えませんでした。そこで、自分がレフリーの一線を退き、後輩のサポートを何ができるかと考えたときに、金銭的な部分をサポートすることが一番だと思い、スポンサーを探すことにしました。
沖縄県では、以前から国体成年チームに県内のホテル経営企業がスポンサーについていたので、関係者の話を聞きながらレフリー委員会でもできるんじゃないかと思って企画しました。

– 外間さんがスポンサー探しを始めたのは?
2020年に活動を始めました。当初、スポンサー探しについて母親に相談したんです。すると、母親の勤めている歯科医院の院長先生が興味を持ってくれて、その繋がりのおかげで、初年度から大きな病院がスポンサーについてくれました。それをきっかけに2年目以降は少しずつ増えて、今は7社がスポンサーについていただいています。

– スポンサーで集まったお金は?
メインは県外派遣の補助に充てています。それと、私はレフリーの価値を高めたいという思いが強くあります。プレイヤーを引退したら、ラグビーとの関わりが終わりではなく、何らかの形でラグビーに関わってほしい。関わり方は、コーチ、トレーナー等、色々あると思うが、その選択肢の中にレフリーも入って欲しいと思っている。レフリーの価値を上げていくことで、レフリーを始めてもいいかなと思わせたい。そこで、レフリーの価値をどうやって高められるかなと思った時、安易かもしれませんがスポンサー名のついたウェアをレフリーが着用している姿、スタイルが揃っている様子から、レフリーってカッコいいなと少しでも思もってもらえたらと考えました。そのために、レフリージャージやTシャツ、ポロシャツを作成し、県内のレフリーに支給しています。もちろん格好だけでなく、レフリーの価値を上げる一番の方法はレフリングの向上だと考えています。そこで、これまでレフリーコーチがいるのは大会だけに限られていましたが、練習試合にもコーチを派遣し、レフリーが吹きっぱなしにならないようにしたり、オンラインでの情報共有や大会の振り返りなど、研修を行なったりしています。他には金銭的な援助です。今まで練習試合や大会に協力してくれるレフリーやレフリーコーチに交通費や手当てを出せないこともありましたが、カテゴリーの協力を得ながら、スポンサーで集めたお金と合わせて交通費や手当てを出すことができるようになりました。そういった部分でも、レフリーの価値を守りたいと思っています。また、これまで後輩がアイディアを出してくれて、トップリーグのパブリックビューイングや他競技のレフリーとの交流、選手とコーチ、レフリーのトークセッション等を行ってきました。スポンサーへの還元も含め、今後もそういったイベントを企画したいと思っています。

– 今後、外間さんはどのような沖縄のラグビー、レフリーを作りたい?
リーグワンを担当できるレフリーを輩出したいと思っています。レフリーの向上は競技力の向上にもつながると信じているので、それはレフリー委員会の使命かなと思っています。リーグワンを担当できるレフリーが一人出てくれたら、次の世代がその道に続いてくれると思っています。そのためにも、先輩方の力と知恵をお借りしながら、今後も引き続きサポートをしていきたいと考えています。また、レフリー人口の少なさも大きな課題となっていますが、普及という部分で今はとても模索しているところです。
私の大きな目標は『レフリー王国沖縄』と言われるぐらい、次から次に良いレフリーを輩出できたらいいなと思っています。全国のレフリー、レフリー委員長の皆さん、一緒に切磋琢磨しながらラグビー界を盛り上げていきましょう。

南国の島人レフリーたちは小さなコミュニティだからこそ結束が強く、支え合いながらラグビー界に携わる。その想いの強さは灼熱の沖縄をも凌駕する。その根源は次の世代への想いから。蒔いた種はハイビスカスのような綺麗で鮮やかな花をいつか咲かすだろう。