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レポート:第3回ラグビー・エンパワメント・プロジェクト

8月にスタートしたラグビー・エンパワメント・プロジェクト(REP)も早くも折り返し。
9月16日に行われた第3回研修は花園近鉄ライナーズで活躍したタウファ統悦さんを迎え、「ラグビーとD&I(=ダイバーシティ&インクルージョン)」のテーマで行われました。

統悦さんは1980年トンガ生まれ。トゥポ高校を卒業後、来日して日大に入学、フランカーで活躍しました。2004年に近鉄に加入、2009年には日本代表にも選出され2011年に開催されたワールドカップにも出場しています。現在は近鉄でデベロップメントコーチ・普及担当を務めています。
高校からラグビーを始めた統悦さんは、日大にトンガの留学生に対する奨学金制度があることを知り応募。選考を経て入学が決まりました。
なぜ日本がトンガからの留学生を受け入れているのか。「トンガ選手のフィジカルが日本に必要だったからです。そしてトンガから日本に留学するのも日本の方が裕福だからです。トンガでは1日1食の日もありました」

では、トンガから来た選手たちが日本でどうやって生活の基盤を築いていくのでしょう。一番大切なのは「言葉」でした。トンガで使われているのはトンガ語と英語。統悦さんにも、来日してすぐに言葉の問題が立ちふさがりました。来日後は朝から晩まで日本語を猛勉強。言葉が分からないときは「周りが自分の悪口を言っているように思えた」と言います。
言葉は会話で必要なだけではありません。「言葉が分かると、そこから知識が生まれてくる」。自身の体験に基づいた言葉です。
文化の違う国で生きていくために、もう一つ統悦さんが挙げたのは、信頼。「逃げないこと。タックルも逃げたら、周りの信頼を失います」
統悦さんは懸命に日本語を覚えて、ラグビーで身体を張ることで、信頼を勝ち取っていきました。

現在もトンガから多くの選手が来日して、様々なチームでプレーをしています。NZで知り合ったトンガ人の友人がいるという参加者からは「文化の違いをどうやって共有すればいいのですか」という質問が。統悦さんからは「大切な時しか話さないのはダメ。どんな些細な会話でもいいから、コミュニケーションをとること」。
それは統悦さんが母親から学んだことであり、ご自身が親になった今も生かされています。統悦さんの体験談は、参加者にとってトンガとの距離を縮めてくれる時間でもありました。

[参加者コメント]
「他国の環境、ラグビーとの繋がりについて知ることができました。自分の役割をきちんと果たすことで、相手から信頼を得られるということは人としても、部活でもそうだと感じました」
「自分がとても感じる異文化を持った人が新しい環境に苦労して慣れていくことの難しさや、異なるアイデンティティを持った人たちの集まりでどうまとまっていくか、統悦さんの経験を聞いて、今の自分の経験に価値があると分かった」

 続いてのキャリア講座は、長らくトップレフリーとして活躍した加藤真也さん。日本協会A級レフリーとしてトップリーグ54試合、高校大会決勝3回など豊富なキャリアをお持ちです。レフリー時代は中学校の教員を務める「二足の草鞋」。レフリーを引退した現在は、レフリーの育成や環境を整えるレフリーサブマネージャーとして若手をサポート。仕事も転職され、故郷である京都の島津製作所人事部に勤務。同社のラグビー部「島津製作所ブレイカーズ」のコーディネーターも務めています。

加藤さんの講義のテーマは「常にラグビーを右手に握った生活」。

レフリー時代は平日は教員として中学校に勤務、土日は試合で全国を飛び回っていました。フルタイムではないけれど、ラグビーにどっぷりつかった日々でした。加藤さんのお話のテーマは「人生におけるラグビーの握り方」。必ずしもフルタイムでなくとも、ラグビーと関わっていける人生があるという経験談でした。
参加者からはレフリーに関する質問も相次ぎました。レフリーとして辛いことは、判定に対して納得してもらえなかったり、連日の移動など。それ以上に楽しいところは、「目の前で試合が観られること」。ラグビーを多面的にみることが出来たり、多くの人との出会いがあったと言います。
「今はサラリーマンとしてラグビーと関わっていますが、どれだけ自分の手にぎゅっとつかめるか。ラグビーに関わることで、人生がより良くなると信じています」。
受講生にとって加藤さんのお話は人生の先輩として、また日頃、耳にする機会の少ないレフリーの本音もうかがえた貴重な時間となりました。

[参加者コメント]
「ラグビーを右手に握った生活という言葉がとても印象に残った。これまでラグビーに触れていく中、レフリーの立場にあまり焦点を当てたことがなかったので、辛いところ、それ以上の魅力を知り、今後自分がどのようにラグビーと関わっていくか考えるきっかけになった」
「私の将来の夢がレフリー、教師なので将来のプランを立てることが出来た講義でした」

(森本優子)