日本ラグビー界では関東協会、関西協会、九州協会の「三支部協会」と呼ばれる地域協会が大きな役割を担っている。レフリーもその例に漏れず、それぞれの三支部協会が担う責任は大きい。その中でレフリー登録数が最も多いのが関東協会であり、3,500人を超える。「関東」協会と言いつつも北は北海道、西は長野県まで17都道県が所属しており、所掌は広範囲に広がる。その関東協会のレフリーをまとめるのが工藤 隆太(くどう りゅうた)レフリー委員長だ。現役時代はトップレフリーとして活躍し、関東大学対抗戦では伝統の一戦である早慶戦や早明戦のレフリーも務めた。一線を退き、マネジメントに活躍の場を移した工藤委員長に、普段見ること、聞くことのない裏方の話を伺った。
– 現役時代はどのような試合を担当していた
昔のトップリーグ、今のリーグワンを担当していました。あとは高校の試合を担当することも多く、花園(全国高校大会)を担当したこともあります。あとは大学ですね。大学では早慶戦、早明戦を2回担当しましたね。
– トップレフリーとしての活動期間は
トップレフリーになるのが遅かったんですよ。42歳の時になりました。 実はその1年前の2010年に(所属する)千葉県で国体があったのですが、それを機にやめようと思っていました。トップレフリーにもなれないし、年齢も年齢だったので。同じ千葉県に所属する当時A級レフリーだった藤実さんに国体1年前のタイミングで「国体を機に僕辞めます」って言ったら、「俺もあと1年でやめるから、1年頑張ろう」って言われて。それでもう少し頑張って続けようと思ってやったところ、トップレフリーになれました。そこから48歳まで6年間、トップレフリーとして活動できた。藤さんをはじめ、周りのサポートのおかげで頑張れて、トップレフリーになれました。
– トップレフリー引退後の活動は
2017年に引退したけれど、28歳から20 年近くやったのでいろんな経験もしてきました。だから、その経験を伝えたいという思いもあって、コーチングということにすごく興味があって。そう思っている矢先、日本協会でのコーチングをちょっとやってみないかと打診されて、トップレフリーや若手も含めたコーチングをしてきました。育成したいな、という思いもありましたし、お世話になった日本協会にも恩返しをしたいという思いもありました。最終的にはハイパフォーマンスレフリーグループのコーチのリーダーも務めました。当時は他のコーチと協力しながら、コーチングの手法や評価基準を作ったり、今のトップレフリーに対してどういったことにフォーカスしてコーチングするか、など充実したディスカッションができました。
– コーチング以外に日本協会での活動は
コーチングと並行して、TMOもやらせていただきました。TMOを退いたあとは、サイティングとしても活動しました。
– 関東協会レフリー委員長になるきっかけは
日本協会の活動を主軸に置きながらも関東協会のテクニカルチームにも少し関わっていました。当時は会議に顔を出す程度でしたが。4年前の2021年、前の関東協会レフリー委員長に「委員長をやらないか」と言われて。正直、日本協会の活動もまだやりたい、関わっていたいと思っていたんです。けれど将来的には育成のことを考えると、関東協会からいいレフリーを輩出しないといけないとも思っていました。悩みに悩んだんですけど、日本協会としての活動が関東協会として、関西協会や九州協会との連携に活きてくるのではないか、と思って2023年の4月から今の役職についています。
– 三支部でレフリー登録者数が一番多い地域ですが、委員長になって大変だと思うことは
全てが大変ですね(笑)レフリーがたくさんいて、マネジメントをすることの大変さ。そして、最近はA級に昇格するレフリーを輩出できていなくて。まずはその道筋を立てたいと思っています。ベテランのレフリーも非常に多く、中堅のレフリーも多い。最近は若いレフリーも増えてきた。そういった中で、就任当初から目標にしたのは関東協会の中からA級のレフリーを出していきたいなと、ずっと思っています。私自身、最初は分からないことも多かったのですが、コミュニケーションは日本協会、関東協会内でも非常によく取っていただいてたので、少しずつスムーズに活動できるようになりました。
– A級レフリーの輩出以外に取り組んでいることは
今はベテランのレフリーに一生懸命頑張っていただいてるんですけど、30歳前後から25歳ぐらいの間のレフリーは少ないんですよね。今は学生を含めてレフリーをやりたいっていう若いレフリーが増えてきている。もちろん、今後もベテランレフリーに頑張ってやっててもらいたいけれど、いつかは引退することになる。次に続く若手も伸ばしていきたいですね。正直、若い人に経験を積ませるためには、いろいろなゲームを割り当てていくことも非常に大事。ただ。それにはリスクも多い。それを理解した上で、マネジメント側もチャレンジしていかないと育っていかないと思っています。
– 北海道から北信越までの広いエリアでの研修会等の機会創出は
地方のレフリーの実力も伸ばしたいと思っています。一つの取り組みとして、関東ディベロップメント研修を5月に企画しており、費用は関東協会が負担します。北海道や東北、北信越から推薦されたレフリー、そして関東ブロックの若手レフリーが参加して研修を実施し、育成をしていきます。レフリングの基礎を学ぶ座学研修や大学の試合を中心とした実技研修を2泊3日のスケジュールで実施します。ただ試合を担当するだけでなく、コーチをつけてコーチングを受け、地元に戻っても成長に繋げられるような体制もとっています。
– 関東協会レフリー委員会としてどんな組織にしていきたい
私自身は長く委員長をやるつもりは正直ないです。組織は長く一人の人がやっていると、新しい事をやりづらい、アイディアが出てこないと思っているんです。リーダーが変わると、そのリーダーが新しいことを考え出してやってくれると思うので、個人的にはそれが良いと思っています。ただ、 私が委員長の間は毎年新しいターゲットを決めて、取り組むことが大事かと思っています。今はA級のレフリーを関東協会から輩出すること、若手を育成することをターゲットにしています。そして、関東協会は本当に先ほども言いましたが、非常に大きい組織でレフリーもコーチもたくさんいる組織です。みんながチームとしてやっていきたい。例えば目標とする大会や試合を誰かが担当すると決まった時、みんなで祝福して応援できるチームにしたい。担当できるレフリーは一人なので、割り当てがなかったレフリーは担当したかったと思う。でもチームとして割り当てが 決まったら、みんなで応援できる、そういった組織にしていきたいですね。
遅咲きのレフリーは引退後、様々な経験を踏んでレフリー委員長に就任。「レフリーチーム」に対して、情熱をもって普及や育成に取り組んでいることをインタビューから知ることができた。
今年58歳を迎える工藤さんは教員としての顔も持っている。4月からは久しぶりにラグビー部のある高校に赴任し、顧問として高校ラガーマンと毎日汗を流している。偶然か、運命か、「あと1年頑張ろう」と運命の言葉をかけてくれた藤実さんの前任校でもある。レフリー委員長、教員、顧問の三足の草鞋を履いて、今日も全てに全力を注いでいる。