九州は昔からラグビーが盛んな地域としてよく知られている。
そして、「九州はひとつ」をモットーに福岡、佐賀、熊本、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄の8県が一体となって動いている。そんな九州協会でレフリー委員長を務められている石本月洋(いしもと つきひろ)委員長に話を伺った。
-ラグビーとの出会い
中学・高校では陸上競技部に所属し、高校ではインターハイにまで出場することができましたが、筑紫高校時代に体育の授業でラグビーをプレーした時の相手を抜き去る感覚が忘れられず、その魅力に取り憑かれました。進学先の日本体育大学でラグビー部の門を叩き、本格的にラグビー競技を始めました。保健体育の教員を目指していたので、卒業後は母校に戻ってラグビー部のコーチをするかたわらクラブチームに所属しラグビーを楽しんでいました。
-レフリーの世界へ入ったきっかけ
母校でコーチをしていたことから練習試合でレフリーを度々担当することになり、筑紫高校の監督であった城戸英敏先生の薦めもあり、24歳でC級、25歳でB級を取得しました。そして、当時の九州協会レフリー委員長の花田亮先生に見出され、26歳で福岡県で開催されたとびうめ国体(平成2年)を担当するなど、とんとん拍子にレフリーの世界へと引き込まれていきました。
-現役時代の思い出
花園デビューの八幡工業vs岡谷工業、三地域交流で担当した関東大学リーグ戦の優勝争いとなった関東学院大学vs日本大学、全国大学選手権での早慶戦、当時のトップリーグなど、多くの思い出深いゲームを担当しました。色んなスタジアムで笛を吹きましたが、一番のお気に入りは秩父宮ラグビー場で、グラウンドに入る前の通路を降ってから上る独特の雰囲気、そして歓声に入り混ざって見えるバックスタンド奥のイチョウと青空のコントラストが好きでした。
-九州協会レフリー委員長になったきっかけ
2008年の大分国体での少年決勝のゲームを最後に、トップレフリーを引退してからは若手レフリーの指導を中心に活動しながら、総務という立場から副委員長を歴任しました。前任の御領園委員長が退任されるタイミングで後を引き継ぐ事になりました。
-委員長として取り組まれていること
レフリーの発掘と育成、A級レフリー、リーグワンパネルレフリーを多く輩出していきたいですね。九州に所属するレフリーがリーグワンの試合などで活躍している数が少ない現状を打破する為にも、底辺を拡大し育成を重視していきたいと考えています。
具体的には2段階方式のレフリーアカデミー制度を立ち上げました。
九州各県推薦のレフリーから若くて荒削りで光る原石4名をアカデミーレフリー(ジュニア)とし、その上に通称AHG(Aim for Higher Goals)レフリーを位置付け、担当のCMOから2年間にわたり継続的に指導を受け、リーグワンのパネルレフリーを目指して活動しています。
因みに現リーグワンパネルレフリーの山内昂輝レフリーはAHGの1期生です。
また、レフリーのブラッシュアップやアシスタントレフリーの資質向上及びセブンズラグビーのマッチオフィシャルなどの向上を目的に「九州地区各県巡回指導」と称してCMOを派遣して、出来る限り新しく有意な情報等を落とし込むことで、底辺拡大を図っています。
-九州は有望な女子レフリーが多い印象があります
やる気があって頑張ろうという気概のある方々ばかりです。
今は子育て中でお休みしていますが、上原睦未さんというパイオニアの存在や田代智香子さんといった母親世代のレフリーの活躍もあり、皆さん意欲的に活動してくれています。
今回、田代未空レフリーがJRFUのアカデミーに選ばれましたが、他の女性レフリーの大きな刺激になっていますし、さらに充実していくことを大いに期待しています。
-組織として大切にしていることは
九州の良いところは皆さんが自分自身の役割を認識して積極的に動いてくれるところ。
「九州はひとつ」を合言葉に一枚岩になって盛り上げていく、組織的に動いていく、そんなしっかりとした組織が作れていると思います。
我々は裏方の存在ではあるけれども、レフリー界を充実させて九州のラグビーの活性化に繋げていきたいと考えています。
柔和な笑顔が印象的な石本委員長、実は奥様と3人のお子様も全員が筑紫高校の卒業生なのだとか。自身が新宮高校の監督時代には公式戦で対戦した筑紫高校の選手の中には息子さんがおり、親子対決が実現した事も。
レフリー、教員、監督、レフリー委員長と常に多忙な生活も、そんなご家族の存在があってこそ。
高校で出会ったラグビーそしてレフリーへの恩返しを、生まれ育った九州の地で今日もひとつひとつ紡いでいる。