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【連載企画】Unsung Hero #9 〜レフリー委員長(関西協会)〜

各都道府県には各都道府県ラグビーフットボール協会があり、それから地域をまとめる関東・関西・九州の三支部協会がある。三支部協会の中でも東は静岡から西は山口、四国まで非常に大きなエリア(22府県)を束ねるのが関西協会である。今回は関西ラグビーフットボール協会でレフリー委員長を務める元トップレフリーでもある松岡辰也さんにご自身の経験や関西協会における今後の展望についてうかがった。
松岡さん自身はトップレフリーとして2005年〜2017年までトップリーグや各種全国大会でレフリーを担当、その後は日本協会のスタッフとして幅広く活動されてきた。

1. 現在は中学校の校長先生ということですが
現任校の校長として、今年で4年目となります。以前の勤務校でラグビー部を創部してから同じ学校に10年間勤務していたこともあり、地域の方々には「校長」というよりも、「ラグビーの先生」ということで認知されています。近隣には春日丘高校、瀬戸西高校、旭野高校という花園出場校もあり、地域の方々もラグビーに対して理解があります。高校でもラグビーを続ける生徒が多く、卒業生たちの中にはリーグワンで選手としてプレーしたり、教員として指導者になったりして、今も変わらず幸せな毎日を過ごさせていただいています。

2. 松岡さんとラグビーの出会いについて教えてください。
中学生までは「甲子園に行きたい」と野球に熱中して白球を追いかけていましたが、高校生から楕円球を追いかけるようになりました。その当時は現在の職業である「教師になりたい」という強い思いをもっていました。中学校の担任の先生と話をする中で、自宅近くの公立高校への進学を強く薦められました。また、その学校のラグビー部が強いということを聞いたことと、スクールウォーズというドラマがやっていたことも重なり、全く知らなかったラグビーの世界に飛び込むことになりました。

3. プレーヤーとしてのキャリアで記憶に残っている試合は?
高校生活、そして大学生活とラグビー活動は充実してはいましたが、残念ながら全国の舞台には立つことができませんでした。卒業後に、地元愛知で教員となり現在も全国レベルにある愛知教員クラブでプレーを続けていました。そこで全国クラブ大会にキャプテンとして初出場したことや、愛知国体でトヨタの選手たちと同じチームで共に戦い優勝できたことはプレーヤーとしての良き思い出ですね。また、その愛知教員クラブで、その後に同じくトップレフリーとして一緒に活動した大槻卓さんとハーフ団を組んでプレーしていたことも今となってはとても良い思い出です。(松岡さんはスクラムハーフ)

4. 中学校でラグビー部も教えていたと聞きましたが
私が教員になった頃、愛知県は名古屋市以外の中学校には、ラグビー部は1校もありませんでした。26年前に瀬戸市の中学校で私が初めてラグビー部を創部し、現在は7中学校中3校で活動しています。(以前は4校ありました)現在の勤務校である瀬戸市立水野中学校も私が創部して今年で20年目になります。地域のラグビースクールの支援もあり、部員は現在37名います。現任校の教員の中には、当時のラグビー部の生徒もいるのは、教師冥利に尽きますね。

5. コーチとして充実した生活だったように感じますが、レフリーを始めたきっかけは?
その当時、愛知県には日本協会で活躍されたトップレフリーの方々が多数みえました。その中でも藤嶋典弘さん、谷口浩司さんという現在もリーグワンのマッチオフィシャルに関わる方々から「レフリーをやらないか」とよく声をかけられていました。しかし、当時は自分でラグビー部をつくってチームを指導していたこともあり、何度も断っていました。そうした中、転勤でラグビー部を離れるタイミングがやってきました。これも一つのタイミングかなと考え、関西B級認定講習会に参加することにしました。岐阜県の数河高原で当時の関西協会太田レフリー委員長から、レフリーの魅力を聞き、熱烈に誘っていただきました。その後、私の試合に何度も足を運んでいただき、熱心にコーチングをしていただいたことがきっかけで、本格的にレフリーを始めようと考えるようになりました。

6. レフリーの面白さは?
切磋琢磨するレフリーが身近にいたことで、より面白さを感じさせてくれたと思っています。
前述の大槻さんとは、平日に仕事が終わってからグラウンドやジムでのトレーニングをしたり、毎週愛知県レフリーのミーティングなどを一緒に行ったりしていましたね。もう20年以上前になりますがビデオカメラを買って、愛知県内で試合を吹くときはお互いの試合を撮り合って試合後にコメダでレビューしたりしていました。当時、週の半分は夕食を共にしていたかもしれません(笑)。そうした中で、だんだんと活動の場が広がり、日本全国を移動しながらレフリーをすることが増えました。また、幸運にも海外にも足を運んでレフリー活動をする機会を得たりする中で、さらに多くのレフリー仲間と出会うことができました。ピッチの中で試合をマネジメントすることは面白さの一つではありましたが、こうした新たな仲間との出会いが、この「レフリー」というものの面白さをさらに広げてくれたと感じています。
もちろん、ピッチに立った時の緊張感と責任感は、何とも表現し難いものがありました。プレーヤーの時のそれとはまた違っていて、それもレフリーの醍醐味と感じていました。

7. 委員長になったきっかけは?
現役レフリー引退後には、日本協会のレフリー委員としてトップリーグを中心に携わっていましたが、関西協会からもレフリー委員として声をかけていただいていました。昨年度、タイミングというものもあり、自らを育てていただいた関西に恩返しをする機会と判断して関西協会レフリー委員長を拝命いたしました。

8. 委員長としての苦労ややりがいは?
多くの試合や会議が近畿圏で行われるので、愛知からは地理的に厳しいと感じることも正直あります。しかし私を支えてくれる優秀なスタッフが多くいますので、できることに取り組んでいます。苦労をあげれば、数え切れませんが、地方のレフリーにも多くの機会を与えるためには、予算が必要になります。どの協会も同様だと思うのですが、レフリーにかける予算はごく限られています。予算があればやれることの幅は大きく広がります。予算の確保が一番の苦労です。
やりがいは、限りなくありますが、仕事との両立に苦慮しているのは事実です。多くのレフリーが関西レフリーとしてのプライドをもって活動してくれています。現在の関西は、今までの積み重ねや文化があって私がいなくても回っていくと感じています。唯一言うとすれば、次に続くレフリーが少ないのが心配ではあります。高校生のレフリー、大学生のレフリーも現在活動していますが、できることならば、関西大学AリーグとトップウェストAには、所属するチームレフリーを作ってほしいと思っています。

9. ラグビー/レフリーに関わっている皆さんへ一言
ラグビーと出会って40年が経ちました。ラグビーのおかげで、現在の仕事や生活が充実したものとなっています。ラグビーをやっていたことで、人とのつながりは限りなく広がりました。ラグビーへの関わり方は、「する・みる・ささえる」といくつもあります。ラグビーに関わること、レフリーに関わることで、きっと人生は楽しく、充実したものになるはずです。それを私に教えてくれたラグビー、そしてレフリーに感謝しています。

現役レフリー時代は豪快かつ毅然とした印象が強かった松岡さん。時にグラウンドでプレーヤーと、そしてチームコーチと(非常に)熱い議論を交わす姿をよく見かけたものだ。

今は校長先生として学校を束ねながら、関西のレフリーを束ねるという大きな仕事をしている。理屈ではなく「ついて行きたくなる人」だ。きっと愛知県の中学校ラグビーの世界やレフリーの輪を広げていったのと同様に、関西・22府県でも素晴らしいレフリーチームをつくっていくものと信じるに疑わない。