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【連載企画】Unsung Hero #13 〜レフリー委員長(鹿児島県協会)〜

本企画の#11で沖縄県協会レフリー委員長をご紹介したが、今回はお隣の県である鹿児島県へ。レフリー委員長を務める辻原潤一郎さんは鹿児島生まれの鹿児島育ち、生粋の「かごんま人」である。これまでのラグビーやレフリーとの関わり、そして鹿児島のレフリーへの想いを伺った。

-ラグビーを始めたきっかけは?
中学校まではサッカーをしていたのですが、仲の良かった同級生とは別々の高校に進学したので違うスポーツを始めようと考えていました。また小学校時代T V放映されていたスクールウォーズの影響、印象が強く、鹿屋高校でラグビーを始めました。
高校時代、目標であった花園でプレーする夢は叶いませんでしたが、2年時の春の総体は良い思い出です。SOでキッカーとしてプレーしていたのですが、試合終了間際キャプテンの判断で40mのPGを狙ったものの外してしまいました。結果的には10対9で敗れてしまいましたが、新人戦では大差で敗れた鹿児島実業高校を相手に僅差の勝負まで持ち込むことができました。
大学は地元の鹿児島大学へ進学し、4年時には全国地区対抗大学大会に出場し、後にレフリーとしても芝を踏んだ瑞穂ラグビー場でプレーする機会に恵まれました。

-レフリーを始めたきっかけは?
元々、高校で保健体育の教員になりたくて卒業後は講師として勤務しながら、鹿児島教員団でプレーもしていました。24歳で正規採用となりましたが、諸先輩方からB級レフリーの資格は取っておいた方が良いと言われ、B級レフリー認定講習会に参加して資格を取得しました。B級レフリーの同期には教員団で一緒にプレーしていた元トップレフリーの細樅さんもいました。(細樅さんはとある事情で2回目の受講だったとか。。。今でも鹿児島レフリー界の語り草になっているようです!)
また、高校時代から色々と目をかけて下さっていた東康彦先生からは、基礎基本を中心に熱心にご指導を頂き、27歳で湯布院での日本協会若手レフリー研修会に参加する機会に恵まれました。そこでの経験や楽しさがレフリーを頑張りたいという大きなきっかけになりました。

-そこからトップに上がるまで時間を要した?
2016年、42歳の時にA2級へ昇格しました。凄く下積みの時間が長く、もういいかなと諦めそうになる時期もありました。石本さん(現九州協会委員長)が「絶対にチャンスはまた来るから腐るな」と声をかけて下さった時は,本当に有り難かったですし、恩返しをしたいという気持ちを強く持ちました。
全国大学選手権の割り当てを受けた際には、ようやく花園の次のステージに立てる、というワクワクや喜びがとても大きかったです。

-思い出に残るゲームは?
2016年全国大学選手権3回戦、秩父宮での流通経済大学と慶應義塾大学のゲームです。
流通経済大学は終盤までリードをしていましたが、慶應義塾大学が後半の土壇場でトライ、ゴールを決めて同点ノーサイドとなりました。
抽選で慶應義塾大学が次回進出権を得たのですが、非常にレベルが高く両チームの力を引き出せたパフォーマンスだったと思います。試合後のファンクションでは惜しくも次回進出ならなかった流通経済大学の内山監督から「ありがとうございました。」と労いの言葉を頂いたことが印象に残っています。余談にはなりますが、今では息子(3年生)が流通経済大学でプレーしており、なんだか不思議な縁を感じます。
また、2020年全国高校大会準決勝、常翔学園と御所実業のゲームも花園の雰囲気が最高でした。
私にとって秩父宮と花園は格別な場所ですね。

-地元、鹿児島での国体も忘れられないのでは?
そうですね、この大会を最後に一線から退こうと考えていました。最終日の少年決勝、福岡vs佐賀はどちらに勝利が転がるか分からないような接戦でした。妻が見に来てくれて、試合後にはセレモニーまでして頂き、大変良い思い出となりました。
妻は息子が始めた影響でラグビーが大好きになり、「他のスポーツは退屈」というまでになりました。J Sportsで放映している試合は全てチェックする程のラグビーファンで、現在はレフリーコーチをしている自分に向かって「私が教えた方が上手くなる」という位、目が肥えてきています。(笑)

-レフリー委員長、レフリーコーチ、教員、チームコーチと色んな役割で大変では?
レフリーとチームコーチというのは、ある意味相反する立場だが双方の立場が理解できるという意味では学びが多いです。チームコーチだけだとレフリーを批判する方に傾きがちになったかもしれませんが、レフリーをしたことでプレーヤーへのコーチングの引き出しが増えました。また、教員としても人と関わって導いていく、育てていくという点で共通点が非常に多くあると感じています。
実は一線は退いたものの、まだレフリーはしています。プレーヤーを育てていくという観点で特に1年生のゲームはしっかりとレフリングしたいと考えています。ルールを知らない子供たちに正しいプレーを伝えることは勿論ですが、楽しさを伝えることも大切に一生懸命、笛を吹いています。

-現在の鹿児島県レフリーの状況は?
国体まではバブルな環境でレフリー育成をしやすい状況でしたが、国体が終わってからは以前と比べると熱量が下がっているかもしれません。
前委員長の井上さんからは「国体が終わってからが大事」と言われていましたので、改めてレフリー育成に取り組んでいるところです。

-新たなレフリーも?
レフリーになることへのハードルが高い中、高校2年生のレフリーが誕生しています。
数を増やす、若手を増やす、という目標の中で非常に期待をしています。進学で県外に出る可能性もありますが、鹿児島のレフリーとして出来る限り育成していきたいと考えています。また、65歳の方がC級レフリーを取得して不惑のゲーム(40歳以上の中高年を対象としたカテゴリー)を担当するなど、生涯スポーツとしての関わりを持って下さっています。
このように、現在は未来に向けて新たな種を蒔いている感じですね。

-具体的にどのように育成しているか? 
良い点に言及して褒めるようにしています。そして、ポイントを絞って改善点について話をしています。また、特に若手に対しては基礎基本を中心に繰り返し指導するようにしています。そんな中、上手くなりたいという思いの強い若手が多く、レフリングをチェックする度に成長しているのを見ると嬉しい気持ちになりますし、やり甲斐を感じます。

かつて現役時代に切磋琢磨した同じく元トップレフリーの細樅氏と蒲牟田氏がスタッフとして加わり、「いっどきばらんか!(一緒に頑張ろうよ!)」と、鹿児島県レフリー界の新たな未来へ向けて歩み出している。