日本代表やリーグワンの多くのチームがトレーニングキャンプに訪れる宮崎県。多くのラガーマンを惹きつけるのは温暖で豊かな自然、美味しい食事、そして温かい県民性。宮崎県レフリー委員長を務める石﨑寛教(いしざきひろのり)さんも然り。2027年には「日本のひなた宮崎 国スポ・障スポ」を控えるが、国スポへ向けた想いなどを聞いた。
-石崎委員長の今までのラグビーの経歴は?
中学生までは野球をやっていましたが、高校からラグビーを始めました。大学は県外に出ましたが、ラグビーは楽しくて続けました。大学卒業後、教員を目指して宮崎県に戻ってきましたが、教員を目指す間も教員チームに所属をして、プレイヤーとしてラグビーに関わっていました。
-普段は教員としてラグビー部の指導している?
保健体育の教員として今は宮崎工業高校で教鞭をとっています。ラグビー部の指導もしており、どうにか15人制単独チームで活動できています。宮崎県も他の都道府県同様にチーム数が減っており、単独で15人を揃えられるのは5校、今年の全国大会県予選は合同チーム3チームを入れた8チームでした。着任して5年目、日本代表の竹内柊平選手の出身校です。最近は忙しく顔を出してもらえていないのですが、何度か練習に顔を出して指導をしてくれたこともあります。前所属のD-Rocksが宮崎県でキャンプをしていたので、オフの日に足を運んでくれたこともありました。
-レフリーになるきっかけは?
大学を卒業して20代の頃はプレイヤーが中心で、正直レフリーには関心がなかったんです。そもそもレフリーとの接点や機会もなくて。採用試験に合格して、初任校は特別支援学校でした。特別支援学校だったので、指導するチームもなく、プレイヤー以外でラグビーに関わる機会はありませんでした。定期異動で初めての異動となったタイミングで、チームを指導する機会に恵まれました。チームに携わるのであれば、レフリーの資格ぐらい持っておいた方がいいんじゃないか、と当時の宮崎県レフリー委員長をしていた高校時代の恩師、米丸麻貴生先生(現:三股町教育長)に資格取得を勧められました。それから高校の試合を中心にレフリーを担当し、31歳になる年にB級を取得しました。
-今までレフリー活動の中で思い出に残っている試合は?
やはり花園ですね。2017年の全国高校大会の1回戦、2回戦を担当させていただきました。私のキャリアでも一番良い時期でした。
-宮崎県のレフリー委員長に就任された経緯は?
前任のレフリー委員長が宮崎県の高体連ラグビー専門部委員長になられるということで、その後任として指名されました。九州協会など主に県外との渉外を担当する委員長と県内のレフリーを統括する委員長の2名体制でやっている時期がありました。私は県内のレフリーを統括する役割を担っていましたが、渉外の担当者が宮崎県内の選手育成・強化に専念する必要が出てきたため、私がその役割も担うこととなりました。
-宮崎県でレフリー活動をしている中で「いいな」と感じることは?
他県のことはよく分からないのですが、若手のレフリーが育ってきていることは非常に嬉しく感じています。また、遠慮なく何でも言い合えるような関係性があり、みんなが楽しくレフリー活動に取り組めていることも宮崎県のいいところですね。
-どんなレフリーが育ってきている?
一番若いレフリーは高校三年生の別府胡麦さんという女性レフリーが活躍してくれています。彼女は昨年から本格的にレフリーを始め、今年B級レフリー資格を取得しました。今後県内外で活躍してくれることを楽しみにしています。他にも大学生のレフリーもB級レフリー資格を今年取得しました。若手レフリーが少しずつ育ち、モチベーションを持って取り組んでくれています。
-実際にどのような取り組みを?
県内のチーム数は多くなく、試合数も限られているので、近隣の県や、時に遠征もします。高校生がトレーニングマッチのために開催している合宿にも参加して、経験をたくさん積めるようサポートをしています。若いレフリーに任せっきりにしてしまうと、経験できる範囲も限られてくるので、今までのラグビーネットワークを駆使して、若手レフリーができるだけ多くの試合を担当できるよう繋いでいます。もちろん私も含め、スタッフがコーチとして帯同し、夜などは研修を開催して研鑽に努めています。
-宮崎県での活動で大変だなと思うことは?
2027年に宮崎県で開催される国スポに向けて、協会や県内の関係者の皆さんにご支援いただき、レフリーのために予算組みをしていただいています。そのおかげで県内だけでなく、県外での活動もしやすくなりました。宮崎県は、例えばチーム数が多く、試合の機会が確保できる福岡県に行くにしても、それなりに費用が発生してしまいます。関西や関東に遠征する場合は基本的にフライトなので、さらに費用は嵩んでしまいます。国スポの予算組みをしていただくまでは、県外での活動に伴う遠征費は基本的に自己負担でしたので、私自身も遠征する時の負担はとても感じていました。国スポが終わったあと、次世代のレフリーが県外に出て活動する際に少しでも負担を軽減できるよう、国スポのレガシーとして良い仕組みを作っていければと思っています。
-国スポの話が出ましたが、2027年の開催に向けた準備状況は?
ちょっと遅れているのかなと思っているのですが、本格的に動き始めたのは昨年2024年からです。レフリー委員会としては、それより前から構想を練っていたのですが、3カ年計画を立てて昨年から動き出しました。県内で若手を対象とした研修会を開催したり、先ほども話をしましたが県外での試合の機会も増やしています。国スポは一つ大きなターゲットであることは間違いありません、ただ、大会を終えた後が大事だと思っています。国スポに向けてレフリー人口を増やそうと取り組んでいますが、終わった後もレフリーをやりたいと思ってくれる人を増やしたい。レフリーが憧れられる存在になれたらな、と思っています。また、レフリーとして国スポに関わってくれた人を育てるシステムを確立したいですね。今は鹿児島県や熊本県など、近県のレフリー委員会と協力しながら試行錯誤しています。今年は全国高校大会県予選を鹿児島県と宮崎県のレフリーがそれぞれ交流をして、試合を担当しました。こういった交流はお互いに刺激になりますし、新たな気づきや学びを得ることができます。国スポをきっかけに始めた活動ですが、大きな大会が終わった後も継続していきたいと考えています。国スポをピークに衰退していくのは残念ですし、避けたいですね。レガシーとして、サステナブルな仕組みを作り上げたい。レフリーのレベルアップが、ラグビー界全体の発展につながればいいな、と思っています。
-国スポの準備をするにあたって、大変なことは?
昨年は佐賀県、今年は滋賀県にそれぞれ国スポの視察に行かせていただきました。知らないことが多く、実際に現場に足を運んで初めて知ることも多くありました。マッチオフィシャルの数がどのくらい必要なのか、どのくらい宮崎県として担当するレフリーを輩出できるのか、そのために何をしなければならないのか、など。特に成年セブンズは試合数も多く、それなりのレベルも求められますよね。また、ピッチを走るだけでなく、入れ替えなどのサイドラインのマッチオフィシャルも必要だということも分かりました。ベテランのレフリーの皆さんにお願いして、宮崎県レフリー総出で取り組んでいかなければ、とプレッシャーを感じています。
レフリーは県外や日本協会のレフリーにもサポートいただかなければと思っていますが、アシスタントレフリーやサイドラインなどは宮崎県のレフリーで全てを担当する、ということを一つの目標に掲げています。そのためにも全体のレベルアップのための講習会を開催できるよう進めています。
-年末には大阪で研修を企画していると聞いているが、どういったことを期待しているか?
派遣する宮崎県のレフリーが全国高校大会でアシスタントレフリーを担当させてもらえるよう調整しています。また、トレーニングマッチをする高校もたくさんあるので、そこで試合を担当させていただく予定にもしています。こういった経験が必ず国スポに生きてくると思いますし、その経験を他のレフリーにも還元してくれることを期待しています。
-2026年の国スポをどういう形で迎えたい?
先ほどレフリー以外は宮崎県所属のレフリーで担当できるよう準備したいといったんですが、レフリーもできるだけ多くの宮崎県所属のレフリーに担当してほしいと思っています。5名がレフリーを担当するという数値目標を立てているので、その目標に向けて県内でレフリーを育成して、大会でそのレフリー等が活躍してくれることを期待して、支えていきたいと思っています。
-国スポを契機に、長い目で見て宮崎県のレフリーがどうなっていってほしい?
日本協会A級公認レフリーがしばらく宮崎県から輩出できていないので、国内のトップの試合担当できるようなA級公認レフリーが出てきたら嬉しいなと思っています。廣瀬大河レフリーが今、全国高校大会やジャパンセブンズなど、様々な大会で活躍していますが、そういった若手のレフリーが多く育ってくるといいなと思っています。そうすることで憧れて、そういった道もあるんだと頑張るレフリーが増える、つながるといいなと。私がレフリー活動をしていた時よりも環境は間違いなく整備されてきているので、若いレフリーが育つような仕掛けを皆さんの協力を得ながら、取り組んでいきたいと思います。
「どげんかせんといかん」石﨑委員長の話を聞いていると、そんな言葉を思い出した。レフリー育成に尽力する石﨑委員長の熱い想いは、2年後の成功をもたらすだろう。それは宮崎県ラグビー界の明るい未来の道標となるはずだ。









