マッチリポート 第50回 全国大学選手権大会

大東文化大学 45-24 関西学院大学
【セカンドステージ 2013年12月8日(日) /愛知県・名古屋市瑞穂公園ラグビー場】
暖かな冬の陽射しの下、大東文化のキックオフでゲーム開始。開始早々、大東文化はボールが手につかず、そこを関西学院は攻め込んでいく。そして5分、関西学院が敵陣ゴール前で執拗にサイドを攻め続けてトライをとり、この試合最初の得点をあげる。が、直後のキックオフから大東文化が攻め続け、先ほどとられたのと同じような形でトライを取り返し、点差をつめる。その後はお互いにディフェンスが甘いところをつきながら、関西学院が2トライ、大東文化が1トライを20分までのところで追加し、点の取り合いの様相を示す。しかし、残り20分はお互いに後一歩のところまで攻め込むがミスで得点を奪えず、12-17で前半終了。

後半は,序盤から大東文化が関西学院を自陣に釘付けにし、攻め続ける。関西学院も何とか耐えてゴールを割らせなかったが、10分に大東文化の縦の連続攻撃からのトライ(ゴール)で逆転を許してしまう、そこからは大東文化の勢いが増し、関西学院のディフェンスが甘くなったところを次々とラインブレイクし4トライを加え、関西学院の攻撃を終了直前の1トライに抑えて、45-24で逆転勝ちを収めた。

前半は均衡した試合であったが,後半は大東文化の強さが目立った試合であった。

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会見リポート
 

監督・キャプテン
関西学院大学の野中監督(左)と畑中キャプテン

関西学院大学

○野中孝介監督

「本日はありがとうございました。
前半リードしている中で、後半は固いディフェンスをしていこうと話しました。前半のトライの取られ方があっさりしていたので、それを修正したかったのですが、ファーストタックルの甘さからほころびが出てしまい、大量失点につながってしまったことは残念でした。大東文化さんの力強い走りに翻弄されてしまいました。」

──1週間後の試合に向けて修正していく点は。

「今日の試合は、チャレンジャーとしてもっと貪欲にいかなければならないところができていなかった。次が帝京大学さんだからという訳ではないですが、チャレンジャーとして戦っていく姿勢を見直していきたいと思います」

○畑中啓吾キャプテン

「自分たちのタックルミスで相手に勢いをつけてしまったということが敗因です。
タックルにいってはいるのですが、ずらしてオフロードでつながれ、ゲインを切られてしま
いました。また、ノックオンやハンドリングエラー、ペナルティ等も多く、自分たちのミスで相手に勢いをつけてしまいました。そこを修正して、次回に生かしたいと思います」

──再三レフリーから話があり、シンビンも出ましたが、レフリングと選手の意識との違いはありましたか。

「レフリーからはノットロールアウェイについて話がありました。倒れなくてもいいところで倒れてしまったり、倒れた後にすぐにどくことができなかったりしました。しっかりとレフリングに合わせていかなければならないことが反省です」

──後半相手が変えてきたことは。

「前半より動かしてきたという感じを受けました。ボールがよく動き走らされました。その中で、タックルミスなどが多くなってしまいやられました。相手の方がアグレッシブルでチャレンジャーという感じでした」

試合写真 試合写真 試合写真 試合写真
 

帝京大学の岩出監督(右)と泉キャプテン
大東文化大学の青柳監督(左)と高橋キャプテン

大東文化大学

○青柳勝彦監督

「今回の大学選手権は1回でも負けたら次のステージに上がれないということで、内容云々の前にまず勝てたことを嬉しく思います」

──後半に向けてどんな指示をされましたか。

「タックルが受け身だったので、どんどん前へ出て攻撃的にタックルをしようと指示をしました」

──キックからラインアウトという回数が少なかったと思いますが、そのような戦術だったのでしょうか。

「そのような流れだったからです。停滞したらタッチから組み立てますが、基本的にはチャンスがあればどんどん回していこうと思っていました」

○高橋洋丞キャプテン

「相手がどうという前に、まず自分たちのプレーをしようと話をしましたが、前半は固さが出てしまいました。今後勝ち進んでいくためには前半からしっかりプレーしていかなければなりません」

──前半の固さはどこからですか。

「初めて大学選手権に出場するという選手が多く、緊張しすぎてしまいました」

──後半、球が良く出るようになりましたが、どこが変わりましたか。
「まずボールキャリアーが低くずらして当たり、つなげるところはつなぎ、つなげないところは寝るという確実なプレーをしようと心掛けていました。さらに、一人目のオーバーは確実に相手をどかす、ということを共通認識でやっていました」