2023年8月30日~9月9日、フランスのポンルヴォワにて開催された「ラグビーヘリテージカップ2023」の主催者に取材した特別コラムを2回に渡りお届けいたします。


【後編】

2. 小さな村が沸いた7日間


左が元SHのチボーさん。右が元FLのフランソワさん
(撮影/松本かおり)

 フランス、パリ市内のオーステルリッツ駅から電車で約2時間。ブロワ・シャンポール駅が、『ラグビーヘリテージカップ2023』が開催された村、ポンルヴォワの最寄り駅だ。

 車で30分ほどのところに、絵葉書になりそうな小さな集落があった。

 

 2023年9月1日から7日にかけて、普段は約1500人が暮らす静かな村が賑やかになった。

 5大陸、19か国からやってきたのは、39チーム、15歳以下の男女約500人。村の中をパレードで練り歩き、現在は中学校・高校として使用されている修道院(1034年創設)、広場を使って7人制ラグビーや食事、交流がおこなわれた。

 

 大会から1か月半後の10月下旬、大会開催の看板などが残る会場となった場所を尋ねた。

 若者たちが集った修道院には、ティエリー・シュネさんとともに大会の発起人のひとりであるフランソワ・ロシュ=パイヤールさんが待っていた。

 

 フランソワさんは旧修道院を使用している学校で教員をしながら、ラグビー部のコーチをしている。

 自身はFLとしてプレーしていた。

 

 若者たちが駆けた広場を見ながら、フランソワさんが、大会を思い出す。

「あちらの広場で何試合もおこなわれました。小さな森には、休憩の時間にいろんな国から来た者同士が集まり、リラックスして語り合う光景が見られました」

 

のどかな風景。ここに世界中から若者がやってきた。
(撮影/松本かおり)


 大会をサポートするポランティアの中には、学校のOBや在校生もいた。

 若者たちと一緒にいた空間の居心地が良かったのだろう。在校生の中には、大会後にラグビーをやりたいと手を挙げた者がたくさんいたそうだ。

 いまでは生徒数850人中150人が毎週水曜に楕円球を追っている。

 

 それぞれに合ったカテゴリーで、一人ひとりがラグビーを楽しんでいる。その姿を見ているとフランソワさんは幸せだ。

「以前は高校生がほとんどでしたが、中学生も増えてきました。なので、私は夕方4時から夜の10時までグラウンドでコーチをしています」と相好を崩す。

 

 学校関係者だけでなく、村の人たちもボランティアとして大会を支えてくれた。

 大会の成功にその力は欠くことのできないものだっただけでなく、村人たちからも感謝の声が聞こえてきたことが嬉しい。

 

 小さな村だ。誰もが、ほとんどの人たちを知っているつもりだった。

 しかし、今回の活動でそうではなかったことに気づく。いくつもの出会いがあった。

 村の人々は、ボランティア活動を通して、あらためて一つになった。

 

 ラグビー(セブンズ)とラグビーシェフ部門(料理)、ラグビーショート(映像)と、3つのジャンルに取り組む大会で総合優勝したのはマダガスカルからやってきたチームだった。

 それぞれの部門で、3位、3位、5位と安定した成績を残した。他チームとの交流にも積極的だった。

 

 日本から参加した『JAPAN RUGBY ACADEMY』は、公募で集まった中学2年生、3年生の女子12名。

 同チームはラグビー部門でコンバインドチームとは思えぬパフォーマンスを見せ、見事に優勝した。

 

大会期間中はいろんな場所で交流の場が持たれた。
(撮影/松本かおり)


 フランソワさんと、共に大会の運営に尽力したチボー・ラジュアニーさんは、『JAPAN RUGBY ACADEMY』のプレーを思い出し、「低いタックルが素晴らしかった」と2人で声を揃えた。

 ちなみにチボーさんは、フランソワさんの長年の友人。10代にラグビーをプレーし、SHでプレーしていた。

 

 さらに2人は、『JAPAN RUGBY ACADEMY』が見せた大会中の成長に驚いたと話した。

 日本とフランスでは、すべての面で環境が違うと言っていい。大会中は2チームがセキュリティーの施された広場の中に設置された同じテントに入り、寝具を持ち込んで宿泊した。

 そんな状況にも笑顔。へっちゃらだった。

 

 フランソワさんは、大会中の日本の選手たちの身だしなみを覚えている。

「ラグビーをする時以外は、大会側から贈ったシャツを着てくれていました。それが、いつもキレイで、清潔だった。感心していました」

 

 シャイな日本人の性格も知っていたけれど、みんな笑顔で、積極的に周囲にアプローチしていた。

 2人は、普段はまったく違う環境に暮らしているけれど、同年代の感覚があって、互いに受け入れやすかったのだろうと感じた。

 チボーさんは、「ポンルヴォワの記憶は日本の選手をはじめ、大会を訪れた記憶の中に一生残るでしょう」と話す。

 誰もが宝物を得た大会だった。

 

『JAPAN RUGBY ACADEMY』はラグビーで優勝という好成績を残したから、総合優勝も夢ではなかった。

 しかし、ラグビーシェフ(料理)部門でタコ焼きにチャレンジし、そこで得点を伸ばせなかったようだ。

 

 フランソワさんが笑う。

「審査員がフランス人でしたから、その舌に合わなかったということでしょう。次回大会では、審査員の基準にも気を使った方がいいですね」

 この大会でのシェフ部門での優勝はマルセイユ(フランス)のチームだったという。

 

歴史が積み重ねられた施設に、あらたな歴史が加わった。
(撮影/松本かおり)


 多くの人が、この大会の継続を臨んでいる。

 今回の大会のように、2027年のラグビーワールドカップ、オーストラリア大会開催に合わせて実施されるのが理想ではある。

 ただ、そのスタイルにこだわり過ぎることが開催の障害になるのなら、継続、存続できる道を最優先にしてほしいと願う。

 

「私たちがやったこと、オーガナイズの経験は、すへてシェアします」とフランソワさんは語り、続けた。

「ただ、ラグビーだけの大会にはしてほしくありません」

 

「ラグビーなしでは、この大会はできませんでした。でもラグビーだけが中心ではなかった。ラグビーと教育の両方があったから今回のイベントが成り立ったし、成功したと思っています」

 そして、選手たちも、その周辺にいる人たちも、誰もが楽しめた。

 

 言語の違いが壁を作ってしまうかもしれない。

 そんな心配は、ラグビーとアクティビティーの両方があったお陰で杞憂に終わった。

 ラグビーと若者たちの力は、想像以上だった。


 

(U15女子チームJAPAN RUGBY ACADEMY 遠征レポートはこちら



>【前編】「1. 大会創設の思い」はこちら


以上