ラグビーワールドカップ2019日本開催決定5周年記念対談

世界を駆け抜けたトライゲッターの対談が実現した。チェスター・ウィリアムズさんは、1995年、南アフリカで開催された第3回ラグビーワールドカップ(RWC)で初優勝を飾った同国代表スプリングボクスの唯一の黒人選手(カラード)。「ONE TEAM、ONE COUNTRY」のスローガンのもと、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の南アフリカをひとつにした歴史的大会の主役となった。大畑大介さんは、1996年に日本代表入りして以降、爆発的な加速力でトライを量産し、テストマッチ(国代表同士の試合)69トライという世界記録を積み上げた。
南アフリカのスポーツ観光大使として来日したウィリアムズさんと、RWC2019のアンバサダーを務める大畑さんが、ラグビーの素晴らしさ、RWCの魅力について語った。

チェスター・ウィリアムズ×大畑大介

 

■南アフリカにとって特別だった1995年の第3回ラグビーワールドカップ

チェスター・ウィリアムズ×大畑大介

──初対面ということですが、チェスターさんは大畑大介さんのことを知っていましたか。

チェスター・ウィリアムズ(以下、CW)「知っていますよ。戦ったことはありませんが、香港でのセブンズ(7人制ラグビー)のワールドカップなどで活躍しているのを見ていました。とても速かった。私はそのとき、セブンズ南アフリカ代表のコーチで参加していました」

大畑「チェスターさんに聞いてみたかったのですが、1995年、南アフリカで初めてラグーワールドカップ(RWC)が開催されました。自国開催の大会に臨むにあたり、プレーヤーとしてはどのようなメンタリティーでプレーされていましたか」

CW「私にとってもチームにとっても特別な大会でした。当時の南アフリカ共和国は、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、国をひとつにまとめていこうという明確なゴールがあり、それを我々が背負うプレッシャーがありました。なおかつ、私は黒人(カラード)唯一の選手としてその場に立ち、そこにいるに相応しいプレーヤーでいなければならなかった。その重圧との戦いもありました。幸運にも、自分にとっても社会にとっても、いい大会になりました」

──1995年大会は、過去のさまざまな大会の中でも、とりわけラグビーファンや関係者が強いインパクトを受けた大会だったと思います。

大畑「南アフリカ代表とオーストラリア代表の開幕戦はよく覚えています(27-18で南アが勝利)。決勝戦は延長戦の末、南アフリカが決勝ドロップゴールで勝利した(15-12)。そして、日本代表はオールブラックスに歴史的大敗。大学生だった僕にとっては、RWCのすごさを痛感するインパクトある大会でしたね」

CW「開幕戦はホスト国にとって重要です。皆さんも2019年に体験されると思いますが、国中の人々がそこに注目します。1995年大会の南アフリカ代表は、事前のテストマッチ(国代表同士の試合)の戦績が芳しくなく、あまり期待されていなかった。それが逆に選手のモチベーションを高めることにつながりました。できるかぎり街に出て、多くのファンと交流することで応援してもらえる雰囲気を作り、自分達が信念を持つことで、より強いサポートが受けられるようになったのです。そのプロセスを体験できるという意味でも開幕戦は重要です」

──1995年大会で一番印象に残っているのは、どんなシーンですか。

CW「私にとっても開幕戦は印象的でした。ケープタウンのニューランズ競技場は満員のファンで埋まりました。その光景は信じられないほど素晴らしかった。私は怪我をしていて、一次リーグには出場できず、準々決勝のサモア戦で復帰したのですが、そこで4トライすることができました。観客も驚いたし、私にとっても印象深い試合です。国として考えれば、決勝戦で延長戦に勝って優勝したことが一番でしょう。試合後、誰もその場から動かず、人種を超えて喜びあっていたのも忘れられないシーンです」

■日本はRWCで戦えるチームになっている
小さな体で世界と戦った2人の工夫

チェスター・ウィリアムズ×大畑大介

──大畑さんの初めてのRWCは、1999年ですね。通常のテストマッチと何が違いましたか。

大畑「あの頃は日本代表に選ばれたばかりで、勢いだけで大会を迎えてしまいました。RWCの重みを理解せず、自分がレギュラー入りしてグラウンドに立つことだけを考えていました。RWCで戦う覚悟がなく臨んだために、初戦でサモアに圧倒されてしまった。その時の日本代表には、元ニュージーランド代表だったジェイミー・ジョセフ、グレアム・バショップという選手がいたのですが(※2000年より2カ国にまたがっての代表入りが禁じられた)、彼らに叱られました。ここはRWCだ、しっかり戦えと」

CW「大畑さんがそう感じたところから、日本代表の進歩は始まっているのでしょう。現在の日本代表はRWCで戦えるチームになっています。来年(2015年)のRWCは、南アフリカ、スコットランド、サモア、アメリカと同じプールですが、勝って決勝トーナメントに進出するチャンスはあると思いますよ」

大畑「南アフリカ代表と日本代表が戦うと、どうなると思いますか」

CW「日本代表も経験豊富なチームになっていると思いますが、南アフリカ代表はさらに経験豊富です。残り30分、20分あたりで体格差の影響が出て来るのではないでしょうか。タックルを続けていた日本が疲れてくることが考えられますが、エディー・ジョーンズヘッドコーチが、日本が攻撃し続ける方法を考えているでしょう」

大畑「チェスターさんは、南アフリカ選手の中では身体が小さいですよね(174cm)。どんな工夫をして戦っていたのですか」

CW「味方の選手が大きいから、私は助けてもらえたという見方もできると思います。相手が大きいのは大変ですね。タックルに来る選手をかわす、コントロールすることはよく考えてやっていたと思います。それ以外では、WTBというポジションにとらわれず、あるときは9番、あるときは12番というような動きをしていました。私は足が速くないので、常に視野を広く保つ工夫もしていました」

──大畑さんはどうだったのですか。

大畑「僕は的が小さいから相手にとってはやりにくいと考えていました。大きな選手は、小さな選手を甘く見てくれる。その心の隙をつく。走るときは初速を意識しました。体の大きな選手は動き出すのに時間がかかります。小さな選手は小回りが利く。そこで勝負です。ディフェンス面では的が大きい相手の方がやりやすかったです」

CW「体格差があると、相手がスピードに乗ってから止めるのは難しい。だから、勢いづかせないことが大事です。身体の小さな日本は、2人、3人でタックルして、すぐに起き上って次のタックルに行くということをくり返さないといけない。攻めては同じように素早くボールを動かしていくということですね」

■RWCは、国をひとつにする力がある
そして、人種や言葉の壁も超えていく

チェスター・ウィリアムズ×大畑大介

──RWCの魅力とは。

大畑「1999年ではホスト国のウェールズ代表と戦うことができました。夕方の試合だったのに、朝起きてホテルのカーテンを開けたら、街中がウェールズカラーの真っ赤に染まっていました

CW「それは、グレートですね。日本代表の応援だと思わなかったですか?」

大畑「さすがに、ちょっと違うと思いました(笑)。スタジアムも満員で、国歌斉唱ではどこから声が聞こえてくるのか分からないくらいの大音量。RWCは国をひとつにし、動かす力があるのだと実感しました。チェスターさんは、1995年の大会でもっとすごい経験をされたと思います」

CW「4年をかけて国をひとつにする経験をしました。ラグビーのいいところは、グラウンドで戦っていたチーム同士が試合後にパーティーをし、一緒に酒を酌み交わすなど、真の友達になっていくことです。試合は全力で戦う。終われば友情を培う。それが、ラグビー、そしてRWCの魅力です。ラグビーは規律のあるスポーツです。規律を持ちつつ、人間関係を築く。人と人を近づけることが、日本のRWCでも重要になるでしょう」

大畑「人種や言葉の壁を超えるのが、スポーツの良さだと思います。特にラグビーは、その傾向が強い。お客さんも友達になります。2003年のRWCで、日本代表はタウンズヴィルという街でスコットランド代表と戦いました。その時、妻と母が、僕の日本代表のジャージーを着て観戦していたのですが、隣に座ったスコットランドのサポーターと意気投合した。言葉は通じないのに仲良くなって、息子の大事なユニフォームを、なんだがよく分からないスコットランドの人形と交換したのです。レプリカじゃなくて試合で着るやつですからね。普通はありえない交換だけど、あの空間では起こり得ることですよね」

■ラグビーは規律あるチームスポーツ
RWC2019で大切なこととは

──ラグビーに出会って、人生は変わりましたか。

CW「私の人生をより良く変えてくれたのがラグビーです。私は貧しい地域で生まれ育ち、裸足でラグビーをしていました。ラグビーによって環境のいいところに住むことができるようになり、こうして日本にスポーツ観光大使として来ることができた。ラグビーというスポーツの特性が私を変えたとしたら、それは規律の部分だと思います。タックル、トライなどは個人がするものですが、すべてはチームのためです。誰かがミスしたものを皆でカバーする。そして、トレーニングは非常にハードです。ハードでありながら、規律あるチームスポーツであるというのはラグビーの特徴でしょう」

大畑「僕は人と上手く付き合えない子供でした。大阪のラグビースクールに通い始めた初日、すでに子供の中でできているコミュニティーに入って行けなかった。どうやって声をかけていいのかも分からない。いざ、練習が始まって、グラウンドの端から端まで走った時、僕は誰よりも速かった。その瞬間、皆が僕のことを受け入れてくれたのです。自分を表現する武器を手に入れることができた出来事でした。怪我をしても、苦しくても、ラグビーを辞めなかったのは、この武器を手放したくなかったからです。普通の人とはちょっと感覚が違うかもしれませんね」

──チェスターさんは、なぜラグビーを始めたのですか。

CW「私の父は優れたラグビー選手でした。当時は、アパルトヘイト(人種隔離政策)の真っ只中で、白人と黒人のチームが対戦することは許されませんでした。大会やリーグ戦も、ラグビー協会も別でした。黒人の中だけでしたが、ラグビーで勝ち抜いていく父に憧れを持っていました」

──RWC2019の成功に向けて、アドバイスをお願いします。

CW「日本は、2002年にサッカーワールドカップを開催するなど、RWCを成功させるリソースがあると思います。質の高い試合が続きますので、スタジアムに来た観客の皆さんが楽しめるのは間違いありません。あとは、日本のラグビー界がひとつになること。関係者同士のコミュニケーションが大事です。そして、参加チームが日本に来た時にどんな経験をするのかが一番大切だと思います。フィールドで戦うだけではなく、それ以外の場所で日本の皆さんと選手がどういう交流をするのか。それがレガシーを残すことにつながるのです」

大畑「僕はRWC2019のアンバサダーを務めています。大会を盛り上げていかなくてはいけない中で、今回、チェスターさんが来日してくださったことはとても嬉しいです。ラグビー界のレジェンドでもあるので、ぜひ世界中で、「日本は、めっちゃ良かった」と言ってほしいですね(笑)」

CW「もちろん! 日本は、規律があり、礼儀正しく、清潔です。ホスピタリティーも食事も素晴らしい。頼まれなくても言いますよ。そして、できればトップリーグのコーチとして日本に戻って来たいと思っています」

チェスター・ウィリアムズ×大畑大介

Text:村上晃一
Photo:長岡洋幸