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■木村通宏 |
ポジション: |
トレーナー |
資格: |
NATA-ATC(アスレティック・トレーナー)
鍼灸あん摩マッサージ指圧師
柔道整復師 |
生年月日: |
1969年8月7日 |
現役時代のポジション: |
FL |
代表チーム内ニックネーム: |
キムさん、キミー |
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父親の影響でラグビーを始めたという木村さん。重量上げでメキシコオリンピックにも出場した父・岳夫さんの勧めで、当時秩父宮ラグビー場で週末練習をしていた東京ラグビースクールに小学校3年生の時に入校。6年生まで秩父宮ラグビー場で走り回っていました。
中学校ではラグビー部がなく、ハンドボール部に所属。高校に入学するとラグビーを再開。フランカーとして活躍しました。
高校卒業後グアム大学へ留学。ホームステイをしていたお宅の親戚の方がグアム唯一の柔道道場を経営する先生だった縁で柔道を始め、トントン拍子にグアム代表に。海外遠征にも行くようになりました。
そんな中、アメリカのコロラドスプリングスという場所で開催されたアメリカズカップに出場した折、運命の出会いをしました。「大会期間中に合宿があって、広い道場にたくさんの参加者がいて、技をかけたり、かけられたり。そんな中、ポロシャツにチノパンという格好の人が選手にテープを巻いたり、氷を当てたりしている。なんだろうな、と思って聞いてみたんです」
それが“アスレチックトレーナー”という仕事でした。
もともとスポーツや医学に興味があった木村さんは「自分のやりたいことはこれだ!」と即行動に。
様々な大学から願書を取り寄せ、その中からオレゴン州立大学を選び入学。4年間かけて勉強し、アメリカの国家資格であるアスレチックトレーナーの資格を取得しました。
卒業後、日本に帰国し、97年にJALの女子バスケットボール部のトレーナーに。そして98年リコーラグビー部のトレーナーに就任しました。「リコーでは“アスレチックトレーナーという資格を持つ人”を探していて、たまたま僕がぴったり当てはまった。やっぱりラグビーは好きなので、嬉しかったです」。リコーラグビー部には6年間所属。その間に鍼灸マッサージの資格も取りました。
リコーラグビー部のトレーナーを終えた翌年の2004年、7人制ワールドカップのアジア予選に出場するためスリランカに遠征した7人制日本代表に帯同。本大会出場を決め、翌年香港で行われた7人制ワールドカップにも帯同しました。「桜のマークがついたものを身にまとったときは、身震いがしました」。拓殖大学のラグビー部のトレーナーもやりながら7人制チームやその他の代表の合宿や遠征に帯同。そして2008年から日本代表のトレーナーに就任しました。
「太田GMがいた日本代表がスコットランドに勝った試合も秩父宮ラグビー場で見ていました。もちろん第1回ワールドカップ(RWC)もテレビで見ていました。まさか自分が日本代表のトレーナーになるとは思っていませんでした」。
トレーナー陣でも中心的存在の木村さんは村上ドクターと連携しながら日本代表選手が所属する各チームのトレーナーさんたちと連絡を取り合うことも役割のひとつ。
試合が終わると必ず選手の各所属チームに連絡。試合日に次の試合地へ移動しなければいけない場合もとにかく連絡を最優先にします。
「大事な選手をお預かりしていますので、コミュニケーションをとることはとても大事だと思っています。自分が関東をベースにしているので、関東以外のチームのトレーナーさんとはなかなか会う機会がない。なので、秩父宮ラグビー場で試合があるときになどは積極的に顔を出します」
合宿中は練習出発前のミーティング1時間前からフィジオルームで選手のテーピング。グラウンドでは選手の水分補給や応急処置などを行い、練習から宿舎に戻るとすぐにスクイーズボトルを洗い、選手のケアが始まります。
「勝利に直接つながらないかもしれませんが、トレーナーという仕事はグラウンド上の限られた時間の中でどこまで選手をサポートできるかが勝負。僕たちも選手と一緒に戦っているつもりです」と話す木村さん。
練習のオフの日が一番選手のケアができるので、合宿中に僕たちには休みはないんですよ、と話す木村さんの笑顔からは、ラグビーと選手たちへの愛情が感じとれました。
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