デフラグビー創立10周年

日本の聴覚障害者ラグビーチーム"クワイエット・タイフーン"が、2004年12月30日、創立10周年記念の日を迎えた。

1994年12月30日午後、三人のデフと一人の聴者が集まり始められた活動は、幾多の危機を乗り越えて続けられ、少しずつではあるが確実に成長。2002年には初の世界大会に参加し、セブンズ部門準優勝。さらに記憶に残る、デフ・マオリとのデビュー戦大逆転勝利と、信じられないような成果を残して記念の日を迎えることとなった。競技人口不足など問題もあるが、さらなる成長を遂げるよう関係者の尽力を願いたい。

クワイエット・タイフーン
クワイエット・タイフーン

残念! デフ選手在籍の東海大翔洋高惜しくも逆転負け

第84回全国高校ラグビー選手権開会式が行われた花園ラグビー場に、ただ一人補聴器を付けた選手がいたことをご存じだろうか?静岡代表・東海大翔洋高校の倉津圭太選手(17)である。

倉津選手は、野球を志し同校に入学。しかし、エリートの集う野球名門チームに活躍の場はなく、テニスに転向するも物足りなさは続き、悶々とする日々が続くなかでラグビーを知り、即入部を願い出る。だが、その入部は簡単に許可されたものではなかった。聞こえないことから来る危険について、慎重な意見が出たのだ。そこで、同校ラグビー部監督の本多茂氏は日本協会に問い合わせ「聞こえない人のラグビーがあるのか」確認し、日本聴覚障害者ラグビークラブの存在を知る。そして「聞こえない人のラグビーがある。ぜひ頑張れ」と、逆に倉津選手に情報提供して、励ましたのだ。「確かに心配はしましたが、彼にとってもいい経験になるだろうと思いました(本田氏談)」

2004年5月の日本聴覚障害者ラグビークラブ合宿に参加し、タックルのコツを掴んだ倉津選手は二年にしてリザーブながら公式戦メンバー入りを果たし、チームも花園出場。12月28日の一回戦では強豪・大阪朝鮮高校をロスタイムまでリードしながら最後に逆転PGを決められ13-15で敗退。倉津選手に出場機会はなかったが、素晴らしい経験を積むことができた。

静岡県代表東海大翔洋の倉津選手
静岡県代表東海大翔洋の倉津選手