試行錯誤のなかで行われた第1回大会
ニュージーランドが圧倒的な強さで初の「世界一」に!

すべては90メートル独走トライから始まった

サッカーから遅れること57年。1987年5月22日、第1回ラグビー・ワールドカップが、ニュージーランド・オーストラリアの共同主催で開催された。
プロ化を認めず、予選も行わずに16カ国を「招待」してのW杯に、果たして成功するかどうか危ぶむ声もあったが、NZのオークランドで行われた開幕戦がすべての懸念を吹き飛ばした。

NZ70―6イタリア。

徹底的なフィットネス・トレーニングで鍛え上げられたオールブラックスは、機械のような正確さと力強さで試合開始早々から圧倒的にゲームを支配し続けた。
後半30分には、イタリアのキックオフを自陣深くでキャッチしたSHデイヴィッド・カークからSOグラント・フォックス、WTBジョン・カーワンにパス。カーワンは、そのまま90メートルを独走してトライを挙げ、W杯の最初のページをスーパートライで飾り立てた。

NZの快進撃は続き、フィジー、アルゼンチンを破って準々決勝に進出。その後も、スコットランド、ウェールズをまったく寄せ付けずに決勝戦へと勝ち上がった。
NZばかりに脚光が集まりそうな大会で、負けじと存在感を発揮したのがフランスだった。
フランスは、初戦でスコットランドに20―20と引き分けたものの、トライ数差で予選を1位通過。準々決勝では、こちらも1勝2敗ながらトライ数差で8強に進んだフィジーに苦しめられたが、「フィジアン・マジック」と形容されたランニング・ラグビーをFWで粉砕。準決勝で共同開催国の豪州と対戦した。
そして、この準決勝が、現在も語り継がれる名勝負となった。

後半開始直後に豪州は、SOマイケル・ライナーがカットインで抜けだし外側へパス。フランスの防御に間合いを詰められたWTBが、このパスを内側にタップしたところにFBデイビッド・キャンピージが走り込んでトライを奪う。
フランスも、直後の4分に、CTBフィリップ・セラが華麗なスワーブで豪州の防御を振り切って20メートルを独走してトライを返す。

一進一退の攻防は24―24のまま終盤へと突入した。
そして後半38分、フランスはWTBパトリス・ラジスケのキックをFWが追走してボールを奪取。そこからのべ10人がつないで、最後は“王様”FBセルジュ・ブランコが左隅に飛び込んで死闘に終止符を打った。
30―24(当時はトライが4点)の劇的勝利はフランスの評価を一気に高めたが、決勝戦はNZがそんなフランスを冷静にコントロール。29―9で勝利を収めて、初代世界王者の名乗りを上げた。

大会のトライ王に輝いたのは開幕戦でスーパートライを挙げたカーワンと、オールブラックスのもう1つの翼、クレイグ・グリーンで、ともに7トライを記録。そのカーワンが現在日本代表ヘッドコーチを務め、グリーンもまた関東学院大学などを指導した経験を持つ。また、フィジー代表SHのパウロ・ナワルも、かつて7人制日本代表を指導するなど、日本ラグビーに多大な影響を与えたコーチたちが、現役としてしのぎを削ったのがこの大会の特色でもあった。

キッカー不在など、課題をさらした日本代表

宮地克実監督・林敏之主将の体制で大会に臨んだ日本代表は、予選でアメリカ、イングランド、オーストラリアの順に対戦。大会前には「アメリカには勝って当然」とか「イングランドには相性がいい」といった発言がメディアに躍った。

しかし、初戦のアメリカ戦ではトライ数が3―3と同数ながらトライ後のゴールキックがことごとく不成功。PGも、7本中成功したのは2本のみで18―21と競り負けた。プレースキックの拙さ、安易なディフェンスミスからの失点など、W杯という真剣勝負の恐ろしさを体感したのが、このアメリカ戦だった。

続くイングランド戦では、後半立ち上がりにWTBノフォムリ・タウモエフォラウのインターセプトからFL宮本勝文がトライを奪って7―16と肉薄したが、以降はイングランドの猛攻に為す術もなく8トライを奪われて7―60と完敗。出発前の壮行試合で東京社会人を相手に力づくのトライを積み重ねたチームは、本気のイングランドの力業には為す術もなかった。
そんな嫌なムードを振り払い、わずかではあるが「日本らしさ」を世界に向けて発信したのが、最終戦のオーストラリア戦だった。

この試合ではCTB朽木英次が大活躍。前半12分、24分と、連続攻撃から2トライを挙げただけではなく、後半にはキャンピージを仰向けに倒す好タックルも披露して気を吐いた。
また、この試合が初キャップとなったWTB沖土居稔が、前半1分にオーストラリア陣10メートルライン付近からロングPGを決め、後半にも約46メートルのロングDGを決めて、キッカー不在に泣いたチームの“救世主”となった。

日本は終始前に出るタックルと果敢なボール展開でオーストラリアを苦しめたが、それでも力の差は埋められず、終了間際に2トライを奪われて、23―42で試合を終えた。
それまで“親善試合”でしか世界各国と交流してこなかった日本にとって、世界の本当の強さ、パワーを体感して、厳しい教訓を得られたのが第1回W杯の収穫だった。

そして、この教訓を噛みしめた代表メンバーのなかから、前述の朽木を始め、FWで藤田剛、大八木淳史、林敏之、シナリ・ラトゥ、バックスで平尾誠二、松尾勝博といった面々が4年後の第2回大会の中核に成長。ジンバブエを破って、日本にW杯での初勝利をもたらすことになる。

Text by Hiromitsu Nagata


 

■成績・日本代表メンバー

※メンバー表内のC=主将 キャップ数は大会開幕時のもの

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