8月15日(土)に行う、「リポビタンDチャレンジカップ2015 日本代表対世界選抜(World XV)」戦に出場する世界選抜がいよいよ11日に来日。

各国の代表として名を馳せた、世界選抜の注目選手をご紹介します。

■世界選抜チーム(World XV)とは

 ラグビーの歴史をたどると、クラブや協会の設立から節目に当たる50周年、100周年などに祝祭試合を行い、その相手として、インターナショナル選手で構成されたチームを招待することが慣行となっている。こうした招待チームは、様々な名前で呼ばれてきたが、そのコンセプト自体は現在の世界選抜チームそのものといえる。

 World XVと名付けられたチームの活動は1977年の南ア遠征から始まり、1992年4月のニュージーランド協会100周年の祝祭試合には、吉田義人氏(当時伊勢丹)が招待され、華麗なダイビングキャッチからトライを記録している。2006年6月にヨハネスブルクで行われたスプリングボクス(南アフリカ代表)と世界選抜の対戦から、祝祭とは関係なしに試合が組まれ、こうした例が増えている。この形態の最近の対戦には、2014年6月、南ア○4524●世界選抜(ケープタウン)、今年7月11日、南ア○4610●世界選抜(ケープタウン)がある。

 世界選抜は編成されるたびに、別々のチームであり、互いに関連は薄く、通算成績には意味が無いのだが、これまで国代表との対戦では、16戦1勝15敗と分が悪い。ついでながら、今回の世界選抜は、RWC(ラグビーワールドカップ)の強化試合という目的から、日本人選手が選ばれておらず、厳密に言えば世界選抜のなかでも「Rest of the World XV(その他の国々選抜)」と呼ばれる編成になっている。それでは、世界選抜チームの注目すべきプレーヤーを紹介していこう。

■ジェームズ・オコナー(オーストラリア)

2008年、ジェームズ・オコナーが17歳でSuper14(のちのスーパーラグビー)に史上最年少のデビューを果たした時から、ラグビー界には1種のざわめきと熱波が漂いはじめた。凛々しくもあどけなさを残した若武者フットボーラーの、ワンプレー、ワンプレーが、翌日のラグビーファンの話題の中心となった。あらゆる才能を持ち合わせて生まれたかのような早熟の天才は、この年、ワラビーズ史上2番目の、18歳4か月の若さで代表デビューを果たした。主にFBとWTB、時にSOをポジションにオコナーは2013年までワラビーズのキャップ数を44まで伸ばした(223得点、14T、39G、25PG)。

TL_1130385

スーパーラグビーでは、フォース(2008~2011)からメルボルン・レベルズ(2012~2013)へ移籍し、この頃からフィールド外の規律違反が目立つようになる。そして、パース空港での飲酒事件をきっかけに、レベルズは契約延長を拒絶、次いでオーストラリア協会にも契約を打ち切られ、やむなく、2013年10月にイングランドのロンドンアイリッシュへ加入することとなった。翌シーズンにトゥーロン(フランス)に移った後、RWC(ラグビーワールドカップ)2015の出場を念頭に、2015年のスーパーラグビーでは、本国のレッズに加入した。今年のワラビーズの初回キャンプには参加ずみ。目下、RWCの代表スコッドリストに声のかかるのを待つ身だ。

(/小林深緑郎)

チケットはこちらからお求めいただけます。

■ カール・ハイマン(ニュージーランド)

 

CAPE TOWN, SOUTH AFRICA - JULY 11: Carl Hayman of the World XV during the match between South Africa and World VX at DHL Newlands Stadium on July 11, 2015 in Cape Town, South Africa. (Photo by Luke Walker/Gallo Images)
CAPE TOWN, SOUTH AFRICA - JULY 11: Carl Hayman of the World XV during the match between South Africa and World VX at DHL Newlands Stadium on July 11, 2015 in Cape Town, South Africa. (Photo by Luke Walker/Gallo Images)

1999年、19歳のカール・ハイマンがSuper12のハイランダーズに登場した時、身長が194センチもあるPRは、他にいなかった。期待を一身に背負う背番号17は、じっくりと育てられ、やがてケース・ミューズから3番のジャージーを引き継いだ。2001年、サモア戦でテストマッチにデビューし、通算1000人目のオールブラックとして記憶されることになるのだが、黒衣の3番ジャージーをグレッグ・サマヴィルから奪うのは、4年後の2005年、ハイマンは25歳になっていた。

低く下がった柔らかな膝、鉄板を思わせるピーンと張った背筋が生み出す、低く速く重たいスクラムのヒット、天をつくラインアウトの剛力リフトで、ハイマンは『世界最高峰のタイトヘッドPR』へと一気に上り詰めていった。ニュージーランド代表45戦目にあたる、RWC2007準々決勝でフランスに敗退したあと、余力を残して、イングランドのニューカッスルファルコンズと3年契約を結ぶ。2010年、母国復帰の道を選ばず、トゥーロン(フランス)と契約し、今年5月、欧州チャンピオンシップカップの3連覇を主将として達成した。今後はコーチの道を目指す。

(/小林深緑郎)

チケットはこちらからお求めいただけます。