第9回目の「みなとスポーツフォーラム~2019年ラグビーワールドカップに向けて~」はリーグ事務局長、中西 大介氏をお招きし、「スポーツMBA」をテーマに2月23日(木)、麻布区民センターにて講演を行いました。Jリーグの実務を知りつくし、FIFA2002サッカーワールドカップで札幌べニューのマネージャーを務めた同氏から、スポーツビジネスのいろはをお話しいただきました。

中西大介氏
中西大介氏

【スポーツMBAとは】
今回のテーマは「スポーツMBA」。スポーツMBAとは通常「Master of Business Administration」ですが、今日は中西氏が考える「スポーツMBA」、つまり「Movie for Business Administration」[Monogatari(物語) for Business Administration]をお話しいただきました。スポーツにおけるMBAは人の感情を扱う仕事であり、単にロジカルに物を考え表現するだけではなく、「物語」のシャワーを大量に浴びることが重要であると仰いました。物語とは、映画や本、日常の生活出来事にある感動であり、感動を呼び起こす“スポーツ”に携わるためになくてはならないものであると仰いました。また、中西氏ご自身も仕事をする上で「物語」が役立ってきたそうです。

【経営戦略】
Jリーグには「Jリーグ百年構想 スポーツでもっと幸せな国へ」という理念があります。中西氏は、このように組織における理念、ビジョンはとても重要であると述べられました。しかしJリーグの運営は順調に進んだわけではなく、合併するチームがあったようにチーム数を拡大するとともに経営が安定しないクラブもでてきたのです。その時に、理念だけでは経営できないという厳しい批判があったといいます。そのような中で、中西氏はある映画の言葉を例に出し、理念を追求することが理想主義だと言われるならば「その通りだ」と何度でも言い切れるか、組織の状況が良くないときこそ言い切れる力が必要だとお話をされました。そして、理念やビジョンがふさわしいか、と問うのではなく、理念やビジョンがあることが重要である。つまり、理念は進む方向を決めるための手がかりとなるもの、これからどうしていくべきかを考えるためになくてはならないものであると述べられました。

【組織・人】
スポーツ界の仕事
中西氏は昔探検家が同志を募るために出した募集広告を紹介されました。
その募集広告は、「苦しい冒険、わずかな報酬、危険」などネガティブな要素が並ぶなか、「成功すると名誉と称賛を得る」といった内容でした。これを見た当時の若者はこぞって応募したそうですが、現在の日本ではどれだけの若者が手をあげるでしょうか。
そして、スポーツ、プロサッカーのスタッフの仕事は決して華やかではないこと、選手、監督が華やかであり裏方に恵まれた環境は少ないことを述べられました。そのためこの募集にあるように、スポーツ界で人々の心を動かす仕事を行う人は、社会をお金というものさし以外で測れる人、それでも飛び込める人材でなくてはならないと述べられました。だれかがやらなければ駄目になり続ける仕事、いわば雪かきのような仕事を自分の仕事として真剣に取り組めるかという姿勢を大切にしたいし、中西氏ご自身もそれをできる人を評価したいと。また仕事をする上で「自分の存在理由を感じるために一人で仕事を抱えこんではいけない」と述べられました。あの人がいなければ困るという状況を作りだし自分の存在価値を見出しているだけであり、それよりも「自分がいなくても大丈夫。なぜならもう繋いでおいたから」という状況で仕事をすることが大切ではないかとお話をされました。

2002年ワールドカップ時の経験
中西氏は2002年のサッカーワールドカップの時、36歳の若さで札幌べニューの責任者をしておられます。その時、ワールドカップの招致活動を行った功労者は実際の運営上でトップに立たず、30代後半から40代の若手が各会場のトップを任されたことについて先述の「繋ぐ仕事」と絡め、「未来を考え若い者にやらせてくれたのでしょう」とお話をされました。中西氏ご自身もこの時の経験を、得たものは説明のしようがないくらいたくさんあり、今の仕事に自信となっている。人に経験を残すというちょっとした工夫や勇気を次の世代、若手を育てるDNAとして引き継いでいかなければと考えていると述べられました。

スポーツの果たせる役割とは
1978年のサッカーワールドカップアルゼンチン大会において、初優勝のアルゼンチン代表を率いたセサル・ルメス・メノッティ監督の「サッカーが進歩するのではない、サッカーをする人が進歩するのだ」という言葉を紹介されました。メノッティは、1960年代には国際試合における蛮行で暴力的なイメージが定着したアルゼンチン代表にて、自分の目で選手を選び、クリーンで攻撃的なサッカーを浸透させた人物です。このワールドカップ優勝により、軍事政権下であったアルゼンチンの大衆を勇気づけることができたとお話をされました。日本に置き換えて考えても、スポーツは私たちが進歩するためのものとなるはずであり、中西氏ご自身もスポーツの果たせる役割を深く考えていきたいと述べられました。

質疑応答
これまで中西さんが経験されたことをどのように若手に伝えていかれますか。
→「2022年のサッカーワールドカップ日本開催招致はなりませんでした。招致があることでレガシーが生まれます。スポーツに対する国の考え方、施設、人材、などです。もちろん、ワールドカップ招致ができなかったからと諦めません。ワールドカップ招致ができた時と同じ環境をJリーグが作っていきたいと常日頃若手含め職員に言っています。若手の登用について私自身のことを振り返ってみると、Jリーグにはもともと若手スタッフが多かったということがあります。さらに、私の場合上司が事情により出社できない日が多く、自分で仕事を進め、やらなければならなかった。権限も与えてくれました。今の時代はメディア環境の変わり目ですよね。これまでのイズムは残したままで、環境適応力の高い若い力も大切にしていきたいですね」

中西さんはJリーグの事務局長としてどのようにビジョンを示していかれますか。
→「理念・ビジョンはすごく私が大切にしていることですね。理念は変わりません。しかしビジョンは時代時代で変化しなければなりません。なぜならこれだけ環境変化が著しい世の中で未来予測は役に立たないからです。未来予測は当たらないものです。エジソンが蓄音器を発明したとき、商業的価値はないと予測しました。しかし今では音楽プレーヤーがありますよね。なので、自分たちの志がなにか、何を成し遂げるかを定義することが大事なのです。何をもって世の中の人々に役立ちたいかと意思を持つことが大事です」

札幌べニューのマネージャーとして最も大変だったことは何ですか。
→「組織委員会の札幌支部はものすごい人数でした。また、サッカー界の人、自治体、警察、ボランティアスタッフと出身も様々で、こんなに多くの人数を率いるのは初めてでした。当時は26歳で道警の方は大分先輩でした。それぞれのノウハウを持った人々をまとめるのは難しかったです。しかし、その時に気付いたことがあります。リーダーとは全ての仕事を知っている人ではないということです。上司やリーダーとは例外案件が出た時に解決方法を導くことができる人のことだと学びました」

スポーツ業界で活躍するためにはどうすればいいですか。
→「個人的な意見として、スポーツ業界で活躍するには、外の世界に出た後でスポーツ界へはいるのが良いのではないでしょうか。ビジネスの基本を持った方が活躍できると思うからです」

サッカーにあってラグビーにないものは何だと思いますか。
→「ラグビーにあってサッカーにないものならわかります。Jリーグでは以前より『メンバーシップ(集団に所属するメンバーが、各自の役割を果たすことで全体に貢献すること)』という考え方を推奨しています。ただ、なかなかこれを根付かさえるのは難しいと感じています。ラグビー界の組織では昔からこの考え方がしっかりと根付いているなと感心しています。スポーツが日本文化となるためにやるべき方法と関連しているのですが、日本の場合、学校がなくなるとスポーツがなくなる状況です。そうではなくクラブや、メンバーシップというのが必要だと思います」