Text by Kenji Demura

The Inside Story of the Japan National Team

目標だった2勝を達成できないことが明らかになったトンガ戦後も、掴みかけていた20年ぶりのW杯勝利さえ逃げていったカナダ戦後も、この男は同じコメントを残している。
「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
正直に言うと、本稿の主人公に「この男」などという表現を使っていいのか少々迷ったりもする。思い切って、「男の子」と書こうとも思ったのだが、もちろん、それはそれで本人に失礼でもあるだろう。

田中史朗。26歳。

いくら、ラグビーに詳しくない人に日本代表の集合写真を見せた時に必ずと言っていいほど「なんで小学生が混じっているんですか」と指摘されようが、すでに31キャップを誇る日本代表SHである。

所属するパナソニックの地元・太田周辺でも、「キミ、何小?」と本物の小学生から聞かれたり、今回のワールドカップ期間中、レガシープログラムで訪問した小学校でギャグのつもりで「年齢は17歳」と自己紹介しても、全く冗談だと受け取ってもらえなかったりと、その手の逸話には事欠かない、ジャックこと田中フミ。

代表HPに目を通していただいているファンの方々には『フミマガ』という選手としての皮膚感覚溢れるレポートも提供して、大男が多くどこか近寄り難い雰囲気もあるJKジャパンのイメージを親しみやすいものにしてくれてもいる。

日本代表、SH、田中史朗選手
日本代表、SH、田中史朗選手photo by Kenji Demura (RJP)

身長166cm、体重75kg。
大会取材者に与えられる『メディア・ガイド』に載っている各国の選手データを参照する限りは、ロシアSHのアレクサンドル・ヤニュシキンに1cmだけ大きいものの、2011年ワールドカップでプレーした選手の中で世界最小の部類に入ることことは確かである。
ちなみに、愛称のジャックはかつてのチームメイト、トニー・ブラウン(元三洋電機SO=元NZ代表)の甥っ子に似ているからとの理由もあるようで、必ずしも「豆」からの連想ばかりではないらしい。
同じ身長で成長著しい日和佐、そして前回大会でのレギュラーSHで身長では6cmも上の吉田朋生との小さな男争いに勝つかたちでW杯4試合中3試合先発。間違いなくフランス、トンガ、カナダ相手に2勝、あわよくば3勝さえ狙っていたJKジャパンのキーマンでもあった。
そんなジャックは、京都府出身。小学校高学年で近所の仲のいいお兄さんに教えてもらうかたちでラグビーを始めている。

そのまま先輩のいた洛南中学ラグビー部に入部。さらに、名門の伏見工高へ。

ただし、その頃は本人としては決してラグビーを好きでやっているとは思っていなかったという。

「伏見のラグビーしんどい、やめたいって感じの毎日でした」

大きな転機がやってきたのは、高校2年の時。レギュラーSHだった3年生が大学受験のため欠場した花園予選で先発。思わぬ敗戦を喫してしまったのだ。
「自分が何もできなくて悔しくて、途中で下がったんですけど、そのまま泣いてしまって……。でも、その試合で負けた後も、その先輩は卒業するまでずっと教えてくれはったり、『頑張れよ』って声をかけてもらい続けて、最初はラグビーやめようと考えてたんですけど、何とか恩返ししないとな、と思い始めるようになった」

その先輩自体は高校でラグビーを一線で続けることには終止符をうつことになったのだが、田中の方は以降、ラグビーひと筋の人生を突き進んで行くことになる。

「高3からは、朝練の前に走って、夜も2時くらいまでラグビーのビデオを見続けていました。当時のスーパー12とかを見ながら研究して、逆に勉強は完全におろそかになった」

京産大入りしてからはU19日本代表に選ばれたり、NZへの留学も経験する。

その頃から、おぼろげながら、体の小さい自分をいかに大男の中で生かしていくのかを意識しながら、自分のスタイルに磨きをかけていくようになる。
「まずはディフェンス。ニュージーランドでは片手で吹っ飛ばされたりしていたので、どうやったら体の小さな自分でも守りで貢献できるかというのは考えるようにはなった。強さではどうしようもないので、相手にしがみついてでも止めるとか。どうしても狙われるので、あとは回りの選手とうまくコミュニケーションとってディフェンスしていくことが重要ですね。どうやってもFWには勝てないし、他のBKにも勝てない、なら人を生かそうと」

本格的には三洋電機(現パナソニック)入りしてから頭角を表し、“ジャック”の名付け親であるブラウンとコンビを組むなどしてプレーの幅を広げ、08年のアラビアンガルフ戦で初キャップ。

以降、大型化を続けるJKジャパンの中で、小さなキーマンとしての地位を確かにしながらたどり着いたのがニュージーランドW杯だった。

前述どおり留学経験もある思い入れの深い土地での大イベントだったが、3試合に先発出場し、フランスを追いつめたりもしたものの、結局、歴史を変える白星を奪い取ることはできなかった。

「申し訳ない」という言葉は半ば公約となった「2勝」ができなかったからでもあったが、結果以上に気になったのが、「自分たちのラグビー」、すなわち「日本らしさ」が出せなかったこと。

「ワールドカップの前のイタリア戦とかで手応えがあったので、日本の持ち味である早さにこだわっていけばいけると思っていたんですけど」

実力を出しきれなかった要因として、田中は経験の少なさも指摘する。

「これだけの大観衆の中でラグビーすること自体、初めての選手が多かった」

自分自身も初のW杯だったが、今回の経験を経て、よりいっそう代表でも自ら引っ張っていかないといけないという自覚もある。
「ジャパンでも中堅になってきているので、これからはもっとリーダーシップをとっていきたい」

はっきり言おう。いつもニコニコ温厚そうな表情を浮かべているからと言って、「いい人そうだな」と思ったら大間違いである。

パナソニックの先輩選手で、元日本代表でもあるPR相馬朋和は、ジャックのことを称して「腹黒い奴」と呼んだ。

日本人としてもとびきり小さい体の中には、いかにしたら大男たちを打ち負かせるかのアイデアと実行力が溢れているのだ。

間違いなく、世界規格外の小さな男にしつこく足首に絡まれ、他の選手ならくぐり抜けられないようなスペースを突かれ、その小さな体で相手のマークを引きつけながら回りの選手を生かすようなプレーをされたら、世界の大男たちにとってこれ以上腹立たしいことはないだろうし、相手チームは一種のパニック状態になる。

「日本の小さなスクラムハーフ。せわしくなく動き回りながら、相手を混乱に陥れ、試合を自分たちのペースに持っていく。ユニークな存在だと思う」

史上最高のCTBとも評価される元フランス代表のフィリップ・セラ氏は、そんなふうにジャックのプレーぶりに賛辞を寄せた。

残念ながら、2011年のニュージーランドでは、その小さな力を世界を倒すことに直結することはできなかった。

それでも、今回の苦い経験によって、その小さな体の中に、大男たちを倒すためのノウハウをさらに蓄えたことも確かだろう。

4年後、地球上でもとびきり大男たちが揃うイングランドで、“腹黒さ”を増したジャックが、ニコニコしながら、世界をパニックに陥れる姿を楽しみに待ちたいと思う。