Text by Kenji Demura

The Inside Story of the Japan National Team

もちろん、選手である以上(あるいは選手じゃなくても)誰だって勝ちたいはずだ。
ただし、この男ほど、「ワールドカップで勝ちたい」という言葉に重みがある選手は他にはいないと断定しても、あながち的外れではないだろう。
「4年前は2試合先発で2試合リザーブだったんで、最高にハッピー。評価高まってるなーって」

小野澤宏時、33歳。
2011年W杯日本代表スコッド最年長にして、代表通算67キャップ、そして代表通算43トライを記録してきた、日本が世界に誇るWTBである。
自らを「おじさんウイング」と呼んだりもする小野澤は、W杯に関しても03年大会から3大会連続出場中。ハミルトンで行われたニュージーランド戦での技ありインターセプトからのトライで、日本人選手としては前人未到の3大会連続トライも記録した。
記録面だけではなく、チーム全体を俯瞰するような独特のビジョンと読みから生み出される判断力と瞬発力が合わさったようなプレーぶりは、いわゆる“走り屋”的なWTBとは一線を画し、まったくもって他の追随を許さない存在と言っても過言ではないだろう。
日本人WTBとしては、記録に表れる部分でも、そうじゃない部分でも、極めたと言っていい存在の小野澤にして、まだ手にしていないもの── それが「W杯勝利」である。

03年のスコットランド戦を皮切りに、先週水曜日(9月21日)にファンガレイで行われたトンガ戦まで、ここまで出場してきたW杯での成績は0勝10敗1分。
日本代表自体のW杯勝利が20年前の1991年大会でのジンバブエ戦だけなのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが……。
「もう勝ちたい気持ちはこれ以上ないくらいに高まっています」
トンガ戦に敗れた後、そう語っていた言葉に恐らく嘘はないだろう。

日本代表、WTB、小野澤宏時選手
日本代表、WTB、小野澤宏時選手
photo by Kenji Demura (RJP)

そんな、小野澤が抱える「W杯で勝ちたい」気持ちが、思わぬアクションに及んだこともある。
2007年9月25日、フランス・ボルドー。時刻は20時に迫ろうとしていた。
この日、シャバン・デルマス競技場でフランスW杯の最終戦をカナダと戦っていた日本は、ロスタイムに飛び出したCTB平浩二のトライで2点差に追い上げていた。
この試合のラストプレーとなるコンバージョン(ゴールキック)をCTB大西将太郎が決めれば12-12の引き分けとなり、日本には実に16年ぶりとなるW杯での勝ち点が飛び込んでくるはずだった。

地面に置かれたキックティにボールをセットする大西を見つめるジャパンのメンバーは、誰かが音頭をとったわけでもなく、自然と横一列に並んで肩を組み始めた。
この日は紺色をベースとしたセカンドジャージを身にまとった13人の男たちがピッチ上で肩を組みながら、意外と無造作にラストキックへの動作を始めようとしていた大西の背中を、祈るような表情で見つめていた。

おやっ? 13人?

ラグビーは15人でやるスポーツで、この日のジャパンは退場者を出していたわけではなかったから、本来ならキッカーを除いた14人が肩を組んでいなければならなかった。
「ホント、最悪ですよね。みんなすごく喜んでいるのに、ひとりだけブンむくれてて……」
あの時、グラウンド上にいたにもかかわらず、ひとりだけ肩を組まず、大西のゴールが決まった後も、歓喜の輪に加わらなかった唯一の日本代表メンバーが、小野澤だった。
「とにかく、勝ちたかったんですよね。年齢的なこともあって『最後かもなー』というか、『最後にしよう』という思いもあった。あの時の正直な気持ちとしては、『ここまでだったか。勝てなかったかー』という方が強くて。勝つチャンスはあったはずなのに、そのチャレンジができなかった……」

この時、小野澤は29歳。4年後の2011年に33歳になっている小野澤がW杯で4試合全てに先発出場して、オールブラックス相手にトライも記録することになるなんて、当時は想像しにくかったことでもあるだろう。
「勝てなかったかー」という思いからみんなの輪に加わらせなかった小野澤の気持ちは痛いほどわかる気がするが、本人自身はすでに4年前のボルドーで自分の気持ちに変化が出てきていたのも自覚している。
「グラウンドを一周するうちに、『勝ちたかったなー』というのが『勝ちたいなー』というふうに変わってきたんですよね」
4年前のボルドーでのカナダ戦は、ジャパンのフランスW杯での最終戦だったこともあって、試合終了後、選手たちはグラウンドからスタンドを埋めていたファンに手を振りながら、グラウンドを一周した。
ゆっくり、ゆっくりグラウンドを歩いているうちに、ついさっきまでひとりでふてくされていた選手の心境に変化が生まれてきたのだ。「勝ちたかった」から「勝ちたい」に。

静岡県と言えば、いまも昔もサッカー王国として知られているが、一方、ラグビーは……。小野澤はそこまで強いとも言えないチームからラグビーを始めた。
「元々、中学でスポーツやる気なんてさらさらなかった」というが、中学2年の時に聖光学院に赴任してきた指導者との出会いによって、その後、楕円球と戯れる生活にどっぷり浸かっていくことになる。
元日本代表であり、かつてサントリーでプレーしていた葛西祥文氏が指導にあたるようになってからの聖光学院中は「それまでは遊びで集まっていた感じだったのが、弱い県の弱いチームなりに『勝ち』を求め始めるようになった」。

「とにかく勝ちに向かっていく組織にいたい」
ある意味スポーツマンとしては当然とも言える「勝ちにこだわる」姿勢を強調する小野澤だが、この感覚は恐らく中学時代の葛西先生との出会いで培われたものだろう。あるいは、弱小チーム出身だからこそ、ひと一倍、勝利にこだわり続けるのかもしれない。

その一方で、“うなぎステップ”とも言われる、独特なプレースタイルに通じる重要なヒントをもらったのも中学時代のことだ。
「練習試合でタックルされて簡単に倒れたら、『倒れるな』って言われたんですよね。葛西さんがFW出身だったということもあったと思うんですけど、『倒れなければ、どこまでも走っていいんだぞ』って。
僕がまだプレーできているのは、いかに倒れないかを考えてきた結果だと思うし、結局のところボールをいかに前に運ぶかしか考えていない。先生にはウイングとして芯になるものをもらった気がします。前回のワールドカップの後も『倒れ過ぎじゃないか』って言われましたけどね(苦笑)」

「いろんな色があった方がチームとしては強い」と、小野澤は言う。
その一方で、その色々な個性の持ち主たちが、「どんな場面でも同じ判断を下せるようになるのが理想」だとも。
「たとえば、ボールキャリアがどのタイミングでどこにパスを出すのか、あるいはキック蹴るのか蹴らないのか、蹴るとすればどこに蹴るのかというような判断基準をすべての局面でみんなが同じ感覚で共有できるようになれたら、それが一番いい」
今大会に入り、NO8ホラニ龍コリニアシ、平浩二、今村雄太のCTB陣など、ケガ人の影響もあって、同じベストメンバーと言っても、初戦のフランス戦と4戦目のカナダ戦では、微妙に異なる構成で臨まなくてはいけないJKジャパン。
新しく入るメンバーと感覚を共有するための作業はギリギリまで続けられた。
「アリシ(トゥプアイレイ=CTB)をどう使うのか、あるいはこういう場合はこう攻めるという認識の擦り合わせはだいぶできてきた」
この4年間、1試合1試合、「これが最後になるかもしれない」という気持ちで桜のジャージに身を包んできたという小野澤は、奇しくも4年前と同じ最終戦のカナダ戦に8年越しとなるW杯初勝利を懸けることになる。