Text by Kenji Demura

日本代表のキャプテン、菊谷 崇
日本代表のキャプテン、菊谷 崇
photo by Kenji Demura (RJP)

あるいは、偉大すぎる前任者とは全く違うタイプだからこそ、その後任が務まっているという面はあるかもしれない。
キク、こと菊谷崇。
いきなり初代表でジャパンのキャプテンを任され、03年、07年と、2大会で“ブレイブ・ブラッサムズ"と称された桜の軍団を率いた箕内拓郎元日本代表の後を継ぐかたちで、JKジャパンのスキッパーという大役を果たしてきた。

「箕内さんは偉大。僕の中ではいまでも偉大過ぎるほど偉大な存在。もう、これ以上、上がないくらい。代表に呼ばれなくなっても、パシフィックバーバリアンズ行ってプレーしたりしてるし、本当に凄い。箕内さんみたいに、一瞬にして空気を変えたり、背中見てるだけで『ついていきたいな』と思わせるオーラは真似できない。ドンピシャのタイミングで言ってくれるので、台詞が具体的に頭に入る。もちろん、言ってくれる台詞も男前。自然と『ついていきまっせー』と、スイッチが入る」

菊谷自身が「いまでも、会って、しゃべったりすると緊張する」という箕内元主将に代わって、JKジャパンでキャプテンを務めるようになったのは、08年秋の米国戦から。

「その年の春のアラビアンガルフ戦(アジア5カ国対抗)で、均さん(LO大野)とか箕内さんとかベテランの人がいなくなって、若い3列だけになったこともあって、必死に声を出していた。その姿がJKの目にとまったみたいで、それくらいから『リーダーとは』みたいな話をJKともするようになった。その秋に、箕内さんが辞退、相馬さんもケガで帰ったという状況の中、セレクションマッチでキャプテンやることになって、そのままの流れでキャプテンになっちゃった感じです」
偉大なる前任者が、大学時代も当時は新興勢力と言ってよかった関東学院大で主将を務めて大学日本一に登り詰めるなど、常にリーダーとしてのラグビー人生を歩んできたのに対して、キクは常に自ら率先して何かをやってきたタイプでは決してない。

キャプテンという役割も、日本代表の前は、小学校の時の野球チームでやったくらいだった。

「その時も、同学年が2人しかいなかったので、どちらかがキャプテンにならないといけない状況だっただけで……、しかも、その事実もすっかり忘れてたんですけどね。

そんな感じだったので、ジャパンのセレクションマッチの時のキャプテンとして僕の名前が挙がった時点で、もの凄くビックリした。『まあ、セレクションマッチだけだしな』とか思ってたら、その後も『そのままキャプテンだから』みたいな感じで。何だか知らないうちに流れができてしまった」

The Inside Story of the Japan National Team

箕内から菊谷への流れを決定づけた象徴的な試合がある。
08年夏のパシフィック・ネーションズカップ(PNC)、サモア戦。
それまでPNCをはじめサモアとのアウェー戦で勝利を挙げていなかった日本だったが、ホームでベストメンバーと言っていいマヌー・サモアを相手に死闘と言ってもいい互角の戦いを繰り広げた。
ことに、主将だった箕内主将のパフォーマンスは圧巻で、攻守に体を張ったプレーでフィジカルバトルの先頭に立ち続けた。
その箕内主将が目を負傷して退場を余儀なくされたのが前半34分。
大黒柱を失ったジャパンだったが、チームパフォーマンスは最後まで下降することなく、最終的には31-37で惜しくも敗れたものの、このレベルの相手にも敵地で勝つポテンシャルがあることを証明してみせた、JKジャパンにとって重要な意味を持つ試合となった。
そのサモア戦で、箕内主将に代わって途中出場したのが、菊谷だった。

あるいは、リーダーの交代という意味でも、JKジャパンにとって重要な意味を持つ一戦だったかもしれない。

その試合の数少ない目撃者だった筆者自身、箕内主将が退場した時点で「ジャパンはどうなっちゃうんだろう」と心配したことをよく覚えているのだが、そんな憂いをよそに、実にノビノビとしたプレーぶりで菊谷は偉大なキャプテンの穴を見事に埋めてみせた。

<菊谷もなかなかやるな>

生意気かもしれないが、それが08年7月にサモアの首都アピアで感じた素直な印象だった。

前述のとおり、菊谷は「アピアの死闘」と呼ばれた一戦から4ヵ月後のアメリカ戦で主将に抜擢され、以降"桜のスキッパー"のポジションはキクのものとなる。
「最初は不安もあったんですけど、相馬さん(朋和=元日本代表PR)や均さんがずっとついていてくれたし、自分でも意外なほど楽しかったんですよね。キャプテンとして振る舞うことというか、自分の好きなことができるんで」

主将として臨んだアメリカ戦では2戦2勝。リーダーとしていきなり結果を出したことになるが、本人も認めるとおり、前任者の箕内が「キャプテンらしいキャプテン」だとするなら、キクのリーダーとしてのスタイルはあまり「キャプテンらしいものではない」かもしれない。

「みんながちょっとテンパっているときに、ちょっとリラックスさせるように、『もっと楽しもうや』という感じで、硬くなっているのを緩くするというのが僕のスタイル。緩い時にピシッとさせるのはJKがいるので、僕は逆でいいかなと。あるいは、僕があんまり言わへんから、JK言ってくれてるのかもしれないですけど。みんな調子のいい時は、僕が言わへんでも自然と声が出てきますから。
最初にジャパンのキャプテンとして臨んだアメリカ戦の時は準備期間も2週間しかなかったし、JKもまずはチームをスムーズに作ろうとしていた感じもあったので、あまりキャプテンだから特別なことをする必要もなかった。どちらかというと、自分のプレーをすることの方に必死だった気がします」

前任者の箕内が「硬」なら、菊谷は「軟」。

接する者を自然とリラックスさせる、柔らかい雰囲気が常にまわりに漂っているのが特徴と言っていいだろう。

そして、常にまわりに声をかけたり、相手を和ませる能力に長けているのも間違いない。いわゆる空気を読めるタイプなのだ。

それは、例えば今年から代表スコッド入りしたFL/NO8谷口至が、日本代表に加わった直後に「ボクがジャパンに馴染めているとしたら、まったくもってキクさんのおかげです。ちょくちょく声をかけてくれたり、気を遣ってもらってるんで」と話していたあたりからもうかがえる。

菊谷自身も認識しているとおり、あるいは箕内前主将以上に周囲に張り詰めた空気を漂わせる傾向のあるジョン・カーワンHCとの組み合わせという意味では、実は菊谷のようなタイプが適任なのかもしれない。
そんな菊谷の自然体と言ってもいいキャプテンシーは、08年11月以来3年の時を経ても、まったくと言っていいほど変わってはいない。

今季、菊谷はJKジャパンの全試合でフル出場を果たしてきた。

途中、震災の被災者へのメッセージを発信するため、それぞれ宮城県、そして福島県出身の畠山健介と大野均が主将を務めた試合もあったが、その場合もいちプレーヤーとして80分間ピッチ上に立ち続けた。

他の選手がローテーションのように入れ替わる中、とにかく桜のエンブレムを胸にノンストップでプレーし続けたのが菊谷だった。

「ジェフリー(FLマイケル・リーチ)やコリー(NO8ホラニ龍コリニアシ)はいいパフォーマンスを見せたから休ませてもらえるんですよ。僕は出来が良くないから試され続けている」
長い代表シーズン途中で、そんなことを口にすることもあったが、「キャプテンらしくないキャプテン」が常にグラウンドにいることで、チームに安心感が漂っていたことは紛れもない事実でもある。

それは、偉大なる前任者にも、そして他の19カ国の主将にもできなかったことだろう。

「キクちゃんが、要所要所で締めてくれるんで、自分はほとんど何も特別なことをする必要はなかった」

A5NのUAE戦でゲームキャプテンを務めた時、LO大野がそんなふうに菊谷の存在の大きさを口にした。

その大野が、今年のPNC優勝を決めた後、思わずロッカールームで感慨にふけっていると、「まだまだ、こんなところでジーンときてちゃダメでっせ」と声をかけて、雰囲気を明るくしたり、今季フル稼働しながらとにかく「ワンチーム」になることにキクが心を砕いてきたことは間違いない。

もちろん、その発言、そして視線の先に、まだ経験したことのないビッグイベントがあったのも確かだろう。

すべては歴史を変えるために。W杯で日本のラグビーを世界に向けて発信するために。

NZ入りしてからも「まったく他の試合の前と変わらない感じで過ごせている」というキク。

「キャプテンらしくないキャプテン」はあくまでもキクらしく、自然体でチームを和ませながら、「僕の人生の中でこんなに注目されることはない」瞬間を迎えることになる。