国際大会が地域に残すレガシーとは?
心に残す大会運営を4度の五輪から学ぶ

公益財団法人港区スポーツふれあい文化健康財団と日本ラグビー協会が主催する「みなとスポーツフォーラム 2019年ラグビーワールドカップに向けて」の第47回が9月25日、東京都港区の男女平等参画センター「リーブラ」で開催された。今回は一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会国際渉外・大会競技運営局競技担当部長の小林亨氏を招き、「国際大会が地域に残すレガシー」というテーマで行われた。

■目に見えないレガシーも残した長野五輪

小林亨氏
小林亨氏

小林氏は、1994年リレハンメル五輪を皮切りに、98年長野、2006年トリノ、10年バンクーバーと4度、冬季五輪の運営に携わった。その後は日本オリンピック委員会(JOC)の職員を経て、現職に就いている。

まず、レガシーという言葉の定義について小林氏は紹介。レガシーとは「遺産」という意味であるが、現在の国際大会の意義には、レガシーに加えて、「サステナビリティ(持続可能性)」という点も重要視されていると述べ、人々の心や記憶に残ることも大切であると語った。

具体例として小林氏が挙げたのは、現在でも多くのレガシーが残されている長野五輪。五輪開催に向けては、さまざまなスポーツイベントなどに活用されている競技場だけでなく、長野新幹線や上信越自動車道といったインフラや、宿泊施設が整備された。また、目に見えるものに加えて、長野で初めて取り組まれた「一校一国運動」がある。長野市内の学校がそれぞれ一つの国の文化を学び、応援する活動で、この運動は現在でも毎年4月に開催される長野マラソンなどで継続して行われている。

長野では大会を通じて得られた収益を活用して“長野オリンピックムーブメント基金”が設けられ、その後、約12年にわたってさまざまな事業に活用された。また、大会が経験、ノウハウの蓄積や、ボランティア、ホスピタリティといった人材育成に寄与した点にも小林氏は触れた。

■お国柄が見える各地のレガシー

次に、小林氏は自身が運営に参加した海外の冬季五輪についても紹介した。94年のノルウェー・リレハンメルで開催された冬季五輪は、96年アトランタ五輪のテロ事件を契機に、五輪会場の警備が厳重になったこともあり、「古きよき時代に行われた最後の五輪」と世界のスポーツ関係者は考えている。リレハンメルは人口約2万3000人という小さな街だが、冬のスポーツに対する受け入れる環境がそろった街で、自然環境に配慮して運営された大会となった。この運営が評価されたこともあり、同地では2016年の第2回冬季ユース五輪も開催される予定だ。

06年に開催されたイタリア・トリノは大手自動車メーカー「フィアット」の拠点があり、イタリア北部を代表する工業都市として知られる。ここでは、大会に合わせて地下鉄や高速鉄道といったインフラが整備される予定だったが、完成したのは大会終了後と、大幅に遅れてしまった。さらに大会終了後の選手村をはじめとする、いくつかの施設は放置され数年後に小林氏が再訪した際には荒れ果てていた。このような点から、計画的な整備と、レガシーの活用が必要であることがわかった。

10年に開催されたカナダ・バンクーバー五輪では、「サステナビリティ」がキーワードとなり、環境保護活動に加えて、先住民族の社会参加や、ダウンタウンの変化をもたらす運動なども行われた。さらに、03年の大会開催決定前からレガシーを残す方法も検討された。そして国、州政府、組織委員会によって整備された施設は、その整備費の一部を大会終了後30年間にわたって、保守、運用する費用に充てられ、現在に至っている。

■19年W杯、20年五輪、パラリンピックはどうする?

これらの大会を踏まえて、小林氏は「さまざまなレガシーが五輪では残されますが、自国選手の活躍がレガシーの原動力になり、子どもたちのスポーツに対するモチベーションを高めることができます」と述べ、ソチ五輪のスキー・ノルディック複合ノーマルヒルで銀メダルを獲得した長野県白馬村出身の渡部暁斗は、同地で行われた長野五輪を見て競技に取り組んだエピソードを紹介した。

小林氏は「(レガシーの)きっかけは、組織委員会が与えられますが、その先は主体となる団体や活動の参加者の役割になり、それが誰なのかをしっかり理解することが必要です。(レガシーを維持する)活動の仕組み、支援体制、そして強いビジョンと明確な目標を作り、10年、20年先を見据えてレガシーを残す取り組みが必要です」と考えを明らかにし、レガシーを残すためのポイントを解説。19年のW杯、20年五輪、パラリンピックは日本人にとって多様性を受け入れるきっかけになるという考えを示し、「そうした多様性を受け入れられるスポーツが(ノーサイドの精神がある)ラグビーであると思います」と述べて講演を締めくくった。

■多様なレガシーが残されるW杯と五輪・パラリンピック

講演終了後には質疑応答の時間が設けられ、参加者からW杯と東京五輪・パラリンピックの連携や、過去の国際大会の経験に関する質問が多く寄せられた。

──レガシーを残すために19年W杯と20年五輪・パラリンピックの組織委員会で連携はないのでしょうか?

「まだ現状はありません。ただ、20年の組織委員会では、大会後のレガシーを考える委員会を作ることになっています。将来的には競技団体の方にも入っていただいて一緒に将来のスポーツや、施設利用を考える仕組みができればと思っています」

──東京五輪、パラリンピックは障害者スポーツの理解を深めるためのきっかけになると思います。障害者スポーツに目を向けてもらうための取り組みについて何かお考えがあれば教えてください。

「テニスの全米オープンで錦織圭選手が活躍したのは皆さんテレビでもご存知かと思います。確かに錦織選手は優勝できませんでしたが、他にも日本人は2人優勝しています。車いすテニスの国枝慎吾選手と上地結衣選手。2人ともシングルとダブルス両方とも優勝です。国枝選手は4回目のグランドスラムで、快挙ですがなかなかメディアでも取り上げてもらえない。メディアも含めて話題は、ほとんど錦織さんのことになっています。そういった障害者のスポーツについて、もう少し取り上げていただけるような働きかけができればと思っています」

──各国のボランティアの特徴を教えてください。また、日本人の特徴を活かせるボランティアはありますか?

「長野では3万2000人のボランティアに仕事をしていただきました。ですが、その前のノルウェー・リレハンメルでは1万人が仕事をしました。ノルウェーでは五輪が行われる2週間、ずっと1人が仕事をできるように国にも制度があって、休みを取ってイベントに参加できる制度があります。
長野では、ボランティアの皆さんにお仕事があって、何回も人が変わったことで人数が増えていました。イタリア・トリノやカナダ・バンクーバーも人数は1万7000人くらいの人たちが関わりましたが、やはり短いボランティアが多かったです。やはり国によってボランティアの意識(に違いがあり)、日本やノルウェーはボランティアをしようという人たちが非常に一生懸命でした。そういったところを生かした活動というのを五輪やW杯でしてもらいたいですね」

あなたにとってラグビーとは?

「自分がやっていたサッカーにない、タックルやぶつかり合いといったものがある非常に激しいスポーツという印象です。倒れても起き上がって突進する、力強さのあるスポーツだと思っています」