国際ラグビーボード(IRB)が定める「ラグビー殿堂」(IRB Hall of Fame)に、元日本代表で現関西ラグビーフットボール協会会長の坂田好弘氏(大阪体育大学体育学部教授)が選ばれました。
坂田氏は全世界で51人目の殿堂入りで、日本からは初となります。

また記念品の特別授与式が6月5日、名古屋・瑞穂ラグビー場での「IRBパシフィック・ネーションズカップ2012」日本-
フィジー戦のハーフタイムで行われ、IRB理事である矢部達三・財団法人日本ラグビーフットボール協会専務理事が記念のキャップとピンを手渡しました。

6月5日、日本代表 vs フィジー代表の試合が行なわれた名古屋・瑞穂ラグビー場で、矢部達三・専務理事から記念のキャップを受け取る坂田好弘氏

坂田好弘氏 当日の記者会見から

「人・物全てに敬意を払う賞。とてもうれしく感謝している。今年70歳の節目に日本人が評価されとてもうれしい。1968-69にプレーヤーオブザイヤーを頂いたのが評価されたのではと思う。武者修行時代に1試合5トライを記録できた。

今後の日本のラグビーに大変期待している。最近の接近・突破を狙う日本的ラグビーを進化させ日本人のラグビーを作ってほしい。若い連中が武者修行に海外に出ていく。サッカーのように。代わりに新しい物を運んでくる。日本人が海外で通用する点も多々ある。また、違ったチームが作られる。

本当にラグビーに感謝している。とてもうれしい。ありがとう」

(構成:大久保 誠)

坂田 好弘(さかた・よしひろ)

生年月日: 1942年9月26日
競技歴: 洛北高校→同志社大学→近鉄
現職: 関西ラグビーフットボール協会会長、大阪体育大学体育学部教授、同大学ラグビー部監督
日本代表歴: 16キャップ(初キャップは1967年3月12日のニュージーランド大学選抜戦=近鉄花園ラグビー場)

大西鐵之祐監督率いる日本代表の一員として参加した1968年のニュージーランド(NZ)遠征では第8戦のオールブラックス・ジュニア(23歳以下NZ代表)戦で4トライを挙げて歴史的勝利に貢献、現地では「Flying Wing」と評された。NZでもプレーしてカンタベリー代表などとして活躍、オールブラックス一歩手前まで行った唯一の日本人選手として知られる。2007年ワールドカップ(フランス)では世界を代表する名選手の一人として開会式に登場した。

以下に、IRBのプレスリリースの抄訳をご紹介します。

国際ラグビーボードは1960年代の世界で最も優れた選手の一人で、おそらく、今日に至るまで日本で最高の選手である坂田好弘氏のラグビー殿堂(IRB Hall of Fame)入りを決めた。坂田氏は51人目の殿堂入りとなる。

「Demi」の愛称で知られる坂田氏は1942年生まれ。高校でラグビーを始め、当時の日本で主導的選手育成の場だった同志社大学に進学した。同大学2年時の1967年、坂田氏は日本代表16キャップ中初のキャップを獲得した。優れたスピードと粘り強さを持つ左ウイングとして、坂田氏は60年代後半に日本代表の常連となり、6年間の代表歴の中で計13トライを挙げた。このうち4トライは歴史に残る1968年のオールブラックス・ジュニア戦で記録している。

1969年には、ニュージーランドラグビー年鑑による「世界で最も優れた5人の選手」に、フランスのジョー・マソやニュージーランドのシド・ゴーイングらと共に選ばれ、翌シーズン、カンタベリー州代表に選ばれた。このシーズン、坂田氏はニュージーランド大学選抜に選ばれ、ニュージーランド・バーバリアンズでもプレーした。1973年に日本代表を退いた後、坂田氏は大阪体育大学で指導の道に進み、現在も同大学で体育学部教授を務める。ラグビー指導や国際体育比較論、ラグビーにおける人工芝などの分野の研究者でもある。

「IRB Hall of Fame」は毎年、ラグビーの発展に著しい貢献をした個人や団体を顕彰している。今年の殿堂入り選考のテーマは「グローバルスポーツとしてのラグビー」で、世界中で何百万人もの男女によってプレーされる世界的なスポーツであるラグビーの発展を祝うものである。